第1回「引越し」 -Poppo(男)の場合-
突然、Yahoo!からブログ終了の知らせが届いた。
全く想定していなかったわけではないが、こうして現実ともなると、胸に去来するものがあった。
十数年の時間が、ついこの間のような感覚。
あの頃は… いや… 今も… ……。
僕が自分のブログを開設したのは、「冬のソナタ」との出会いがきっかけだった。
偶然目にした懐かしいストーリー…。
そこに描かれた出来事と、自分の体験との類似性…。
そして、何よりも僕の心を捉えたのは、登場人物たちの心の美しさと哀しさと涙と… 雪の温かさだった。
すぐに日本中で「冬ソナブーム」が起こった。
ネット上にも冬ソナ関係のコンテンツあふれんばかりだった。
その中で、最も目に留まったのは「幻の第21話」の文字…。
いろいろな方々が、自分の願うストーリーを描いていた。
エンディングに対する不満や疑問、あるいは矛盾などが、多くの人によって論議されていることを僕は知った。
どれが正解なのか… 僕も、探し始めた。
素晴らしい作品があった。
納得できない話もあった。
しかし… どれもほとんどが、あのエンディングを受け入れていないという点で同じだった。
なぜだろう…。 僕は、それが不思議だった。
考えた末に思い至ったのは、ドラマのあちこちに、十分に描き切れなかった部分… 隙間があるという事実だった。
そのため、みんなが納得できないエンディングになったのではないかと思ったのだ。
僕は、それらの隙間を埋めたいと思った。
埋めてくれるストーリーを探し回った。
しかし、なかなか見つからなかった。
僕は、僕の願う「隙間」をあるブロガーの方にリクエストしてみた。
なぜなら、その方… Naoさんというその女性が書かれた作品は、とても美しく、僕の冬ソナに抱いたイメージ通りだったから。
僕のリクエストにNaoさんは返事をくださった。
「自分が求めるものは、自分で書け」と。
目から鱗というしかなかった。
僕は、書き始めた。
もちろん第1作はNaoさんに読んでいただいた。
そして、ブログを開設した。
Yahoo!を選んだのは、同じように創作されていた、やみさんのブログの書き方が最も自分に合ってると思ったからだった。
気づいた時には、毎日毎晩のように作品を書いていた。
自分が知りたかったドラマの隙間を、想像のままに描いた。
読まれた感想をコメントされるたびに、自分の家にお客様がこられたような気持になった。
僕は、冬ソナ第15話のチュンサンのような気持になっていた。
「家などいらないと思っていたけれど、やはり家があるのはいいね」
「家」とは、このブログ…
始めは何もなかったのに、段々作品が増え、お客様も増えて…
僕は、心の家というものをこのブログに感じることもできるようになっていた。
そして… 今回、その「心の家」を引っ越すことになった。
新しい家には、同じ家具が運ばれるのだろうか…。
引越し業者まかせでは、運び込む絵や調度類が壊れたりしないのだろうか…。
答えは、ドラマの中にあった。
「愛する人の心が、一番の家」だと。
「冬ソナ」を愛しているなら、心配はいらないと。
僕はそう思うことにした。
たとえ「家」がなくなっても、心で覚えている人は決して忘れたりしない…。
いただいた多くのコメントも、ずっと心に残っている。
僕は、不可能な家を作ろうとは思わない。
そんなことを考えながら、またドラマのDVDを見始めていた。
-了-
あとがき
新しいテーマで書いてみました。
ソナチアンが日常生活の中で「冬ソナ」とどんな風に過ごしてきたのか。
そして今もどんな風に関わっているのかを書きたくなったのです。
とりあえずの1回目は僕自身を書いてみました。
実は、僕の身の回りにも何人かの「ソナチアン」がいます。
彼らは、僕がこんなブログを持っていることは知りません。
そもそも冬ソナを話題にしたこともありません。
ですが、わかるのです。
よく観察すると、いろいろ面白いことが発見できて楽しいです。
今回は僕自身のことと、このブログ引越しのこと、そして大塚家具のニュースも念頭に置いて書いてみました。
創作ではありませんが、皆様への感謝をこめて。
『ソナチアンの人々』
author
poppo
ゲストブック
書庫一覧
アクセスカウンター
- 今日:
- 昨日:
- 累計: