冬ソナで泣きたい! ~Poppoの落書き帳~

   あなた… 今でも泣きたいんでしょう?    …泣くならここが一番ですよ…

長編『ブルゴーニュの風』

長編『ブルゴーニュの風』


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 フランス留学中のユジンを描いたストーリーです(現在連載中)。





第1回

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「ブルゴーニュの風」 1






「…ユジン! ユジンったら…!

 着いたわよ!!」

隣の席のソフィアの声で、ユジンは目をさました。

「……? もう着いたの?」

小さくあくびをしながらあたりを見回すユジンに、ソフィアは笑いながら言った。

「相変わらずね…。

 ユジン、知ってる? みんながあなたのことをなんて呼んでるか…。」

「…え? …私のこと…?」

目をこするユジンに、ソフィアは少しおどけた顔で言った。

「ソウルから来た… 眠り姫…!」

「…まぁ!」

ふたりは顔を見合わせてクスクス笑った。


「私は『遅れてきたシンデレラ』だと思ってるんだけど…。

 近頃は講義に遅れてくることはなくなったようね。」

「まあ! それだって失礼しちゃうわ…。

 居眠りとか遅刻が多い…ってことじゃない…。」

「…ん? 違うの?」

「……もう!」


ふたりは大笑いしながら、互いの荷物を持つと、列車から降りた。

ディジョン駅のホームには、冬の透明な陽射しがこぼれていた。


          *


パリのリヨン駅からTGVで1時間半…。

居眠りをしている間に着いてしまったこの町…。

ブルゴーニュ地方の中心であるこの町から、さらに田舎に行くと、自分の故郷のボーヌがあるのだとソフィアは言った。

「お昼までにはまだ時間があるわね…。

 先に大学の方に行ってみる?」


「ええ。」

ソフィアの言葉に、ユジンはうなずいた。



フランスに来て、半年あまりになろうとしている。

パリの本校で建築の基礎理論を学んでいたが、この冬からはこの町の大学でフランス語と美術史を学ぶことにしていた。

春までの数ヶ月… 静かな田舎町で暮らすことになるのだ。

パリでルームメイトとして一緒に暮らしているソフィアの勧めで、彼女の実家に間借りすることにもなっていた。

彼女は大学で会った当初からユジンを気に入ったらしく、しきりに一緒に暮らそうと誘った。

そのわけを聞くと、

「パリでは家賃が半分になるし… ディジョン校に通うんだって私の実家だから家賃はいらないでしょう?

 あなたにとってもお得な話じゃないかしら?」

年下の彼女の、そのあっけらかんとした言葉にユジンは笑いながら承諾したのだった。


「ちょっと家に電話しておくわね。」

そう言ってソフィアは携帯を取り出すと、歩きながら話し始めた。


「…あ、ママ? 私よ。

 ええ、今ディジョンに着いたところ。

 …え? ううん… これから大学に行って… 昼食をすませてからそっちに行くわ。

 …うん… そう…。

 大丈夫よ…。わかってる…。


 …ああ… それからね…。

 前から話してたでしょ? ユジンも一緒だから…。

 そう… お願いね。


 パパにも言っておいてね。

 すごい『Belle femme』だから驚かないでって。


 じゃあ、また後で…。」

ソフィアが携帯を切ると、ユジンは言った。

「本当に大丈夫なの?

 私みたいな者が行っても…

 迷惑なんじゃないかしら…?」


「何言ってるの。 大丈夫、心配ないわよ。

 前から話してあるんだし、それにね…

 ママもあなたとパリで一緒に暮らしているから安心してるのよ。

 きっと喜んでくれるわ。

 パパだって、あなたに会いたがってるんだから。」

そう言って、ソフィアは笑った。


「それならいいんだけど…。

 あ、そういえば… さっきの電話…

 『Belle femme』… どういう意味?」


「…え? ああ… 『Belle femme』ね…。

 つまり… 『Beautiful woman』ってこと!」


「まあ! そんなこと言ったの?

 やだわ… 恥ずかしいじゃない…。」

ユジンは顔を赤らめた。

「…じゃあ、『眠れる美女』って言っておこうかしら?」


「…! またそれを言う!!」


ソフィアはまた明るく笑うと言った。

「バスはこっちよ。

 すぐだから、眠る暇なんかないからね!」

「……!」

ふたりは荷物を手に、改札口へと急いだ。


                         -つづく-



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あとがき

『冬ソナ・サイドストーリー』もそろそろ書き納めにしようかと思っています。
手元に残っているボツ原稿はまだたくさんあるのですが、満足できるものがなかなか見つからなくて…。

その中でずっと残したままの作品…。
フランス留学中のユジンを描いたものがありました。
ソフィアについては『冬のコンチェルト』の中で少しだけ登場させてありました。
『夏のメモランダム』を書いていた頃、ちょうどフランスについて調べていたのでちょこちょこっと書いていたのです。

意外と長くなりそうです。
もちろん書き直す箇所もあるので、ぼちぼち…と。

空白の3年間が、ユジンにとって哀しい日々だけではなかったと…
そういう願いをこめて書いていくつもりです。

第2回


 

「ブルゴーニュの風」 2





ディジョン駅を出ると、ソフィアが言った。

「どう? 驚いた?

 何にもないところでしょ?」

言われてユジンもあたりを見回した。

確かに、他の町のようにカラフルな店舗などが見あたらない。

駅前にはバスターミナルくらいしかなかった。

駅舎も小さなものである。

(…なんだか… 春川の駅みたい…。)

ユジンは、ふと故郷の町を思い出していた。


「でもね、少し歩くとすぐに素敵な街並みが見えてくるのよ。

 なんならバスはやめて歩いてみる?

 あ。この先にね… 美味しい中華料理のお店があるの。

 …え? ああ… 意外でしょ?

 そうなの。 とっても美味しいんだから…。

 本場の人達もみんな驚くのよ。なんでフランスで中華…?…って。

 嘘だと思うなら、お昼に食べてみる?」


久しぶりに帰郷するうれしさだろうか… ソフィアははしゃいでいるようだ。


「…う~ん… どうしようかな…。

 バスにも乗ってみたいし、街を歩いてもみたいし…。

 …大学までは遠いの?」

ユジンがたずねると、

「そうね… 1kmくらいかしら…。」


「…! なんだ、そのくらいなら歩きましょうよ。

 私、もっと遠いのかと思ってたわ。」


「小さな町だもの。パリとは違うわ。

 …でも… これだけの荷物があるわよ?」

ソフィアは自分とユジンの大きなトラベルバッグを見ながら言った。

「平気、平気! 若いくせにそんなこと言わないの!

 疲れたら私が持ってあげるから… ちゃんと案内してよね。」


「…! その言葉… 覚えておきなさい。

 約束よ!」


ふたりはバスターミナルを横目に、ディジョンの市街に向かって歩き出した。



          *



「…ねえ… まだ歩くの…?」

ユジンの声に、ソフィアが笑顔で振り返り答えた。

「あと少しよ。

 …だから言ったのに…。

 あちこち見ちゃったからね…。」


ユジンは肩に背負ったバッグを持ち替えながら言った。

「だって… 素敵な建物ばかりだもの…。

 ただ歩くだけじゃもったいなくって…。」


「…でしょう?

 ここに来た人たちはみんなそう言うのよ。

 どう? 気に入った?」


「…ええ。とっても。

 本当に綺麗な町ね…。」

ユジンの目に、古い石造りの家並みが、まるで童話の世界のように映っている。


「この雪が残ってなかったらもう少し歩きやすいのにね…。

 とにかく今年はよく降ったわ…。

 もううんざり…。」

ソフィアが言った。


「…私は… 雪は好きよ。

 こうして綺麗な雪景色も見られてよかったわ。」

ユジンの言葉に、ソフィアは首をすくめて言った。

「よく言うわね。

 つい今し方まで泣き言を言ってたのに…。


 …ほら… 着いたわよ。」


「…ここ?」

その古びた建物の前に立つと、ユジンはほっと息をついた。

見上げると、白壁の建物全体が美しい彫刻で飾られている。

ところどころに張り付いた雪にも負けない、不思議な力強さをユジンは感じた。


ここで… また新しい何かに出会える…。

そんな予感をかすかに覚えていた。


「先輩たちに挨拶していきましょう。

 きっと歓迎してくれるわ。」


「ええ。」

ユジンとソフィアは、扉を開けて中に入っていった。



          *



受付で案内を請うと、すぐに研究室の場所を教えてもらえた。

『建築美術史』の研究室は、2階の端にあった。

静かな廊下にふたりの足音だけが響いている。


『建築美術史研究室』…


「ここね…。

 ユジン…。早く、早く…。」

ユジンを急かすと、ソフィアはその部屋のドアをノックした。


「…こんにちは…。」

ソフィアが先になってそのドアを開けた。


「…はい? どなた?」

若い女性の声がした。


中にはいると、そこは30㎡くらいの明るい部屋だった。

数人の若い学生らしい男女が、こちらを見ている。


「あの… 今度こちらで学ぶことになったソフィア・レイ・ベルナールと言います。

 それから…こっちが…」


「チョン・ユジンと言います。

 韓国からの留学生です。よろしくお願いいたします。」

ふたりが挨拶すると、


「ああ… あなたたちですか…。

 マルタン先生から聞いてますよ。

 ようこそ…。


 私、3回生のエマ・シモンといいます。

 エマ、と呼んでください、

 それから… そちらに座っているのがジャン。あっちはアレキサンドル… で、彼女はカミーユ…。

 向こうにいるのが、ルシーよ。」

その学生が、次々と仲間たちを紹介した。

「よろしく!」

みな笑顔で声をかけてくれた。


「短い期間ですが、よろしくお願いします!」

ソフィアが言うと、学生たちは立ち上がって拍手をした。

ユジンも頭を下げた。

パリとは違った空気が、ここには感じられた。

妙に… 学生時代に戻ったような… そんな気分になっていた。


(…確かに、今は学生なんだものね…。)


彼らより少し歳が上だということが恥ずかしくもあったが、そのうち慣れるだろうと思うことにした。

「ユジン。

 いい人ばかりのようね…。」

ソフィアが耳元で小さく囁いた。

ユジンも笑顔でうなずいた。



「…あなたたち… お昼はすませたのかしら?」

エマの言葉に、ふたりは顔を見合わせた。

そういえば、まだ昼食は食べていなかった。

ディジョンの街に見とれているうちに、とっくに昼を過ぎていたのだ。

「…いえ…。

 駅からすぐにこちらへ来たので…。」

ソフィアが言うと、エマは

「それならちょうどよかったわ。

 今ね… みんなで食事にするところだったの。

 よかったら一緒に食べない?」

「そりゃあ、いい。

 やっぱり初めて会ったら食事が一番だよな。

 一緒にどうぞ。」

ジャン…という男の学生も言った。

「はい! 実はもう、おなかがペコペコなんです!

 ユジンもでしょう?」

ソフィアの返事に、ユジンも断る理由などなかった。


「じゃあ、さっそくお二人の歓迎昼食会ということで…。

 アレキサンドル! 準備はいいよな?」


「ああ、OK! 

 ワインも冷えてるよ。」

気がつくと、テーブルの向こうにはこの地方の料理がたくさん用意されている。

有名なマスタードをたっぷり使ったサンドイッチやチーズなども盛られていた。

アレキサンドルと呼ばれた学生が、ワインのボトルをぞろぞろと並べ始めた。

「じゃあ、まずは新しい友の到着を祝って…

 ほらほら… グラスをお渡しして…。」

学生たちはそれぞれ手にワインのグラスを持って立ち上がった。

ユジンの手にも赤いワインの入ったグラスが持たされた。


「え~っと… では、我らの新メンバー… ソフィアと…

 …ユ… ユジンさんでしたよね?

 お二人の学業の成果を願って…   乾杯!」


「乾杯!!」


ソフィアは一息にワインを飲み干した。

ユジンは、ほんの少し口にした。

思ったよりも美味しく感じる味だった。


ふたたび拍手を受けて、ふたりは頭を下げた。



                         -つづく-

第3回

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「ブルゴーニュの風」 3






出された食べ物はどれも美味しかった。

恵まれた風土に育った素材が、芳醇な香りとともに口の中にひろがっていく。

ユジンはこんなにもチーズが美味しいものだとは思っていなかった。

知らぬ間に、手にしたグラスのワインも少なくなっていた。


彼らは気さくに何でも話してくれた。

パリではなかなか自分のフランス語は通じなかったのだが、彼らは時折英語を交えて話してくれた。

ユジンもすっかりうち解けて話せるようになっていった。



「それにしても… 君はお酒が強そうだな…。」

ジャンが、ソフィアの顔をまじまじと見ながら言った。


「はい。私… 実は生まれがボーヌなんです。

 実家にはブドウ畑と醸成工場があるんです。」

もう5、6杯は過ごしたソフィアが笑いながら言った。


「へえ~! それじゃぁ飲めて当たり前か…。

 これはお見それしたな。」

ジャンは首を振りながら笑った。


「はい。子供の頃から飲んでましたから。

 あ。 その点、このユジンは違いますよ。

 この人… お酒は全然ダメなんです。

 あまり勧めないでくださいね。」


「あら? そうなの?

 強そうに見えるんだけれど…。

 でも、ここのワインは美味しいでしょう?」

エマの言葉にユジンはうなずいた。


「このワインも、ここの学生たちが作ったのよ。

 ワイン醸成の専攻科があるんだから。

 だから毎日こうして美味しいものも食べたくなるのよ…。」

ルシーという名前の、ちょっとふっくらした女子学生が言った。

どこかしらチンスクに面立ちが似ている…と、ユジンはおかしかった。



「ユジンさんは、韓国から来られたとおっしゃいましたね?

 そういえば、韓国からの留学生もこの街には多いですよ。

 もっとも語学留学の方がほとんどかな…。

 ワールドカップの前には、建築関係の方も多かったんですけどね…。」

エマが言った。


「そうなんですか?

 確かにワールドカップのためにソウルでは建築ラッシュが続いてました。

 私の勤めていた会社でも、それらの仕事で忙しい時期がありましたよ。」

ユジンは、ポラリスで働いていた頃の毎日を、懐かしく振り返って言った。


「そうでしょうね。

 フランスがワールドカップを開催した時も、同じだったようです。

 大きな建物ばかりどんどん作って…。

 でも、これからはもっとちゃんとしたものを作っていかなければいけないと思うんです。

 ただ大きいだけとか、豪華なだけじゃなく… 人の心に優しく感じられるもの…

 そんな建築が必要だと思うんです。」

エマが、静かに言った。

ジャンやアレキサンドルも黙ってうなずいている。


「私も… そう思います。

 それを、このフランスで学びたいと思っているんです。」

ユジンはそう言ってから、学生たちの顔を見た。

みんな美しい目をしている…。

そう思った。


ジャンが言った。

「ユジンさん…。

 それならわざわざこのフランスにまで来なくても…。

 あなたの国にも素晴らしい建築家がいるでしょうに…。」


「…?」

ユジンは首をかしげてジャンの顔を見た。


「去年… いや、一昨年だったかな…。

 僕は一人の素晴らしい建築家に出会いました。

 そう… あなたと同じ韓国の方です。

 驚くほど斬新な設計をされる方で… あちこちの建築賞を獲られている方ですよ。


 実は一昨年、この大学で講演をなさったんです。

 僕… 感銘を受けました。

 なんて言ったらいいのかな…。

 その方… 冷たい口調で話されていましたが…

 その言葉の端々に、人への思い…を感じられたんです。


 建物を造るというよりも… 人の心の何事かを求めている…

 そんな感じを受けたのは、僕… 初めてでした。」

ジャンの言葉に、アレキサンドルも続いて言った。

「僕も同じような気持ちになりましたよ。

 そのときなんだか… 建築というものへの見方が変わったんです。

 きっとあの人… 人の心を求めながら生きてきたんだろうな…。」


カミーユが言った。

「本当の設計図は… 人の心の中にあるのだ…。

 そんなこともおっしゃってたわね…。

 私も、共感できるものが多かったわ…。」


(…もしや… その『建築家』とは…)

ユジンの胸に、その彼の名前が浮かんだ。

(…本当の設計図は… 人の心の中に…)


自分と同じ… 同じ心を持った人は… 『彼』以外にいるとは思えない…。


「それにしても、あの方… 素敵だったわよね…。

 まだ若いんでしょう?

 今も独身なのかしら…。


 ああ、ユジンさん…。

 あなたのうしろ…。

 ええ、そこに写真が貼ってあるでしょう?

 その講演会の後で、その方を囲んでみんなで撮ったものよ。

 なかなかハンサムだと思わない?」

ルシーの言葉に、ユジンは振り返って後ろの壁を見た。


そこに… 一枚の写真…。

    …学生たちに囲まれた…笑顔…

    …ウェーヴのかかった金髪の青年…

    …眼鏡の奥で笑う、優しい瞳…


ユジンは、声もなく立ちつくしていた。

                         -つづく-

第4回

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「ブルゴーニュの風」 4



「ユジンさん…。

 その方をご存じ?

 確か… イ・ミニョン氏とおっしゃるんだけど…。」


「…いえ…  あ… はい…。

 ………。」

ユジンはうつむいた。

彼の笑顔…

忘れたことなどない、その笑顔…。
 

「ああ… そうか…。

 ミニョン氏はアメリカ生まれの方だったよな…。

 それじゃあ知らないのも無理ないか…。


 ユジンさん、その方… 凄いんですよ。

 フランスにも招かれて、確かカンヌの美術館は彼の設計だったはずです。

 マルタン先生も『彼は天才だ』とおっしゃってましたよ。」


「………。」

ユジンは、顔をあげ、もう一度その彼の笑顔を見た。


イ・ミニョン…。

私の… 心を持っていった人…。


実は… チュンサンその人だった…。

高校生だった私の…初恋の人…。



今… 彼はどうしているのだろう…。


学生たちは、またにぎやかに騒ぎ始めていた。

今日は午後の講義はないのだ、と誰かが教えてくれた。


ジャンが言った。

「ソフィア。僕はマコンの出身なんだよ。

 君と同じ『ブルギニョン(ブルゴーニュ人)』というわけさ。

 せっかくだから、あの歌でも歌わないか?」


「え? …ああ…わかった! あの歌ね!

 ええ、いいですよ。

 ブルギニョンなら歌わなくっちゃ!」


「よし、そうこなくっちゃ…。

 みんなも一緒にな!」

そう言って、学生たちは歌を歌い始めた。

彼らは、こうした飲み会でよく歌っているらしい。

それはブルゴーニュの民謡だった。


『おいらの横には、いつもでもボトルが

 ブドウ畑で飲むときにゃ 王様よりも幸せさ

 おいらがへまなど することないぜ

 なぜなら毎朝 グラス一杯のワインで顔を洗うのだから


 おいらはブルゴーニュの陽気な子ども

 運が悪かったことなど 一度もないぜ

 酔って赤くなった顔が おいらの誇り

 誇れ! 誇れ!
 
 誇れよ 誇れ!

 おいらは誇らしいブルギニョンなのさ!』


明るいその歌声に、ユジンはいつしか心の中が温かくなっていくのを感じていた。

人が自らの故郷を誇らしげに歌うことのできる幸せ…。

ソウルでは感じたことのない感情であった。


ソフィアは真っ赤な顔で大声を上げていた。

その笑顔が、ユジンにはうらやましく思えた。

自分も… いつか帰りたい…。

あの故郷へ…。


あの人たちの待つ町へ…。


ユジンの目には、いつしか涙が溢れそうになっていた。


「…素敵な歌ね…。

 何ていう歌?」

ユジンがたずねると、ソフィアは言った。

「今の歌?

 『ブルゴーニュの陽気な子どもたち』よ。

 面白いでしょう?

 ブルギニョンなら誰でも知ってるわ。

 …あっ、ユジン! あなたも今日からブルギニョンなのよ。

 ちゃんとこの歌、覚えてよね!

 ワインは飲めなくても、これさえ歌えればバッチリよ!」


「はい、はい。

 わかったわよ。」

ユジンも笑いながら、答えた。


「…どうです、ユジンさん。

 あなたも何か歌ってくれませんか?

 韓国の歌も聴いてみたいなぁ…。」

ジャンの言葉に、みんなも口々に賛同した。


「そ、そんな…。

 急に言われても…。

 それに… 私だけひとりで歌うんですか…?

 歌はみんなで歌う方が楽しいですよ。」

ユジンが尻込みするのを見てアレキサンドルが言った。

「じゃあ、みんなが知ってる歌でいいですから…ぜひ!

 何かありませんか?

 …え? フランスの歌などしらない?

 そうか…。


 じゃあ… フランスの歌じゃなくてもいいですから、何かないですか?

 たとえば学生時代に聴いていたポップスとか…。

 ユジンさんが高校生の時は、何を聴いてました?」


「…え? …高校時代ですか…?

 そうね… なんだろう…。


 …あ…  『ABBA』とか…」


「ABBA? ああ、それなら知ってますよ。

 『ダンシング・クイーン』だったっけな?

 そうだ… 視聴覚室にCDがあったかも…。」


「………!!」

とまどう間もなく、誰かが持ってきた『ダンシング・クイーン』のCDをバックにユジンはマイクを持たされてしまった。

(…まいっちゃったな…)

ユジンは途方に暮れた。

わざわざマイクとラジカセまで用意されてしまったのだ。


(…仕方ない… 歌うしかないわ…)


少しワインを飲んだせいだろうか…。

いつもより気分がいい…。

ユジンはマイクを持って学生たちの前に立った。


ラジカセから、懐かしいイントロが流れ出した。

学生たちが手拍子を取りはじめた。


ユジンは歌った。


久しぶりに歌うこの曲…。

あの日から… 二度と歌うことのなかったこの曲…。


彼との… 思い出の曲…


この10年あまり、ずっと悲しい思い出の曲になっていた。


でも… 違う…。


この曲は、彼との楽しかった高校時代の思い出の曲なのだ。


ユジンは、それに気がついた。


チュンサンは生きていた。

それだけでよかった。

もう…悲しみの10年は過ぎたのだ。


彼との思い出は、すべて楽しかった… 幸せだった…

…そう思うことにしよう。



あの日、彼に覗かれた放送室…。

私は恥ずかしさのあまり、椅子から転げ落ちたっけ…。

おかしなユジン…。

おかしな… 思い出…。


ユジンは歌った。

マイクを片手に踊りながら歌っていた。

その顔に輝くような笑みを取り戻しながら…。


思い出が… 変わっていく…。



いつの間にか、学生たちも一緒に踊りながら歌っていた。

ソフィアも大笑いしながら腰を振っていた。


みんな… 新しい仲間なのだ…


ユジンは歌いながらそう思った。



ふと、誰かの視線を感じた。

気がつくと、それは彼… イ・ミニョンの写真の笑顔だった。


(…! また笑ったわね… カン・ジュンサン!!)


でも、もう私は平気…。

こんなに楽しいのだから…。


チュンサン…。



私…

ようやく…。



校舎内に響く『ダンシング・クイーン』のメロディーの騒々しさに、あちこちの研究室のドアが開き始めていた。


                        -つづく-


     



あとがき

この「ブルゴーニュの風」のテーマは

『哀しい記憶を、楽しかった思い出に変えていく』

というものです。

ユジンとチュンサンの哀しい記憶を、どうにかして楽しかった…幸せだった思い出に変えたい…そう思いました。

そうでなければ、フランスから帰国したユジンが「フランスはどうだった?」と聞かれて「最高よ」と答えられるはずがありません。

涙よりも笑顔が多いストーリー…。
そうなるように書いていきたいと思っています。

第5回


 

「ブルゴーニュの風」 5





「ねえ… 本当に大丈夫?」

心配そうなソフィアの声に、ユジンは手を振って答えた。

「大丈夫よ… 大丈夫だって…。

 もう酔ってないわよ…。」

そう言いながらも、足取りがおぼつかないユジンを抱えて歩きながら、ソフィアが言った。

「無理しなくてもよかったのに…。

 飲めないくせに、あんなに飲んだりして。

 ほら… もうすぐバスが来るわよ。

 よっこいしょ…。


 本当に、大丈夫なの?」

ようやくバスターミナルに着いたふたりは、夕暮れの街並みを眺めた。


「綺麗ね…。

 本当に綺麗…。」

ユジンはトラベルバッグに腰掛けると、そうつぶやいた。


「来週からはここで勉強するのね…。

 なんだか楽しみ…。

 フランス語だけは、ちょっと憂鬱だけど…。」

ユジンがそう言うと、

「それまでは私の家で、たっぷり勉強なさい。

 訛りの入った本物のフランス語を教えてあげるわ。」

ソフィアが笑って言った。


「しかし… あなたの『ダンシングクイーン』には負けたわ。

 みんな唖然としてたわよ。

 ジャンなんて、もうあなたのニックネームを『ダンシングクイーン』に決めたみたいだったわ。

 私なんて『Tiger』だってさ!

 いったいどういう意味かしら?

 ABBAの曲に、『Tiger』なんてあった?」

ソフィアが口をとがらせて言うと、ユジンは笑いながら言った。

「『Tiger』は、『ダンシングクイーン』のB面の曲よ…。

 意味は… 私も知らないわ…。」


「Tiger…って… 『虎』でしょう?

 私、そんな凶暴に見えたのかしら…。

 ……?


 …あ、来た、来た…。

 ユジン、ボーヌ行きのバスがきたわよ。」


ふたりは荷物を持つと、バスに乗り込んだ。

最後部の席に座ると、ふたりとも急に昼間の疲れが出てきたようだ。


「たぶんバス停にはパパが車で迎えにきてるから…

 それまで一眠りしててもいいわよ、ユジン。

 『眠り姫』が『ダンシングクイーン』に変身か…。

 なんだかおかしいわね。

 ねえ、ユジン?


 …ユジン?


 …あれ…   …ユジン…



 …もう眠っちゃったの…?



 …やっぱり…眠り姫だわ…。


 …いいわよ… おやすみなさい…。


 …きっと疲れたんでしょうね…。


 …ユジン…   お疲れ様…。」


ソフィアは、そう小さくつぶやくと、父親にメールを打った。


『 パパ… ただいま。

 今、バスに乗りました。あと1時間くらいかしら。

 ユジンも一緒です。彼女は…疲れたのか、隣で眠ってます。

 お迎えをお願いします。


 パパ…。

 ユジンを歓迎してあげてね…。

 この人…


 本当に可哀想な人なんです…。


 何も話してくれないけれど… 私には、わかるんです。



 たったひとりで、遠いこの国に来たのは、何か事情があったのでしょう…。



 私ね…  この人が好きなんです。

 こんなに優しい心を持った人は初めて。


 こんなに哀しい笑顔を見せる人も初めて…。


 一緒に暮らしているとね… それがわかるの。


 この人… よくひとりで泣いているんです…。


 パパ…。


 この人を、なんとかその哀しみから救ってあげたいの…。


 お願いします。 』


そのメールを送信した後、ソフィアはユジンの寝顔を見つめた。

まるで子供のように眠っている、この異国の友人…。


(…ユジン…。 あなた… あの曲を歌いながら泣いてたわね…。

 …あんなに笑顔を振りまきながら…

 …私には、あなたが泣いてるように見えたの。


 …なぜ…?   …なぜなの?)

ソフィアの目から、涙がこぼれ落ちた。

自分でもわからない涙…。


ソフィアは、その濡れた頬を乾かすかのように、窓を小さく開けた。

ブルゴーニュの風が、優しく… 懐かしく薫ってきた。

ソフィアは、静かに目を閉じた。


                       -つづく-
 

第6回


 

「ブルゴーニュの風」 6




ボーヌの町まで1時間。

目を覚ましたユジンは、窓の外に目を向けた。

すでに陽は暮れている。

月明かりに見えるのは、ぶどう畑だろうか。

少しだけ開いた窓から、風に乗って土の匂いがした。


ソフィアは隣で静かな寝息をたてている。

片手に携帯電話を握ったまま、ユジンの肩にもたれるようにして眠っていた。

長い睫が美しいと思った。


(人のことを『眠り姫』なんて言ってたくせに…)


その愛らしい寝顔を見ながら、ユジンは微笑んだ。

ソフィアの身体に押されていた腕を抜くと、時計を見た。

そろそろ着く頃だ。


「…ん…?  …もう着いた?」

ソフィアが顔を上げた。


「起きたの? そろそろ着く時間よ。」

ユジンが言った。


「早かったわね…。

 いつもはもっと長く感じるのに…。」

ソフィアは、背伸びをしながらそう言った。


「寝てたからじゃない?

 あなた、よく眠ってたわ。」


「…え? そう?

 ユジン、あなたこそ先に寝てたじゃない…。」


「そうだったかしら…。

 覚えてないわ…。」


「…! これだから、眠り姫って言われるのよ。

 どう? 頭は痛くない?」

飲めないワインに酔った自分を心配してくれているのだろう。

「大丈夫よ。

 ありがとう、ソフィア…。」

ユジンが答えると、

「やっぱり無理に飲まない方がいいわね。

 パパたちにも言っておかなくっちゃ…。


 …さあ、着いたみたいよ…。」

ソフィアは荷物をまとめ始めていた。


          *


ボーヌの駅は、思った以上に小さなものだった。

あたりには何もなく、市街からも離れているらしい。

バスから降りた時も、そこが駅だとは気づかなかった。


「あ、いたいた…。

 パパ! ただいま!」

ソフィアの声にユジンが振り返ると、そこに一台の大きなトラックバンが停まっていた。


「おかえり、ソフィア。

 ん? ずいぶん髪が伸びたな。

 さあ… 母さんも待っているよ…。


 ああ… あなたがユジンさん?

 ようこそ。

 いつもソフィアから聞いてますよ。

 お待ちしていました。


 さあ、どうぞ…。」

ソフィアの父親らしい人物が、車から降りてきて言った。

大きくたくましいその身体と、深く響く声が印象的だった。


「はじめまして。チョン・ユジンです。

 お会いできてうれしく思います。

 この度は、ご迷惑も顧みずにのこのこ参上して申し訳ありません。

 ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いいたします。」

ユジンはたどたどしいフランス語で答えた。


「……? 

 …ソフィア… 

 ユジンさん… 何だって?」

彼は娘に聞いた。

どうも、ユジンのフランス語が通じなかったらしい。

ソフィアは少し訛りのあるフランス語で訳して言った。


「ソフィア…。やっぱり私の語学力じゃ無理…?」

ユジンの気落ちした顔を見て、ソフィアが笑った。

「大丈夫よ、ユジン。

 パパったら… ユジンが困ってるじゃないの…。


 あのね… ユジン…。

 うちのパパって、そういう堅苦しいのが苦手なの。

 気を遣ったりしないで。


 あなたのフランス語もちゃんと通じてるわ。

 パパのジョークなのよ。」


「…まぁ…!」

ユジンは、その父親の顔を見た。

にこにこと優しく笑うその顔に、ユジンはすぐに惹かれてしまった。


「さあさあ… 無駄口はそれくらいにして…

 ユジンさんも冷えてしまうよ。

 早く乗った、乗った!」

陽気なその声に押されて、ユジンはソフィアとともに、車に乗り込んだ。


車に乗り込むと、彼は言った。

「お嬢様方…。

 ようこそワインのふるさとブルゴーニュへ。

 この車は、間もなくフランスで一番の町ボーヌに向かいます…。

 今宵お泊まりのお宿… ボーヌで最も薄汚い『シャトー・ドゥ・ベルナール』にご案内いたします!」

 
「…! ……!!」

ユジンとソフィアは顔を見合わせた後、爆笑した。


ソフィアが言った。

「運転手さん。チップをはずむから、安全運転でね!」


「承知いたしました。

 ですが、あいにくの田舎道…。

 お笑いなさるのも結構ですが、舌を噛んだりしませんように…」


「……?」


走り出したトラックバンは、すぐにガタガタ変な音を立てはじめた。

ソフィアの父は、それを気にもせずに笑顔でハンドルを握っている。

カーブにさしかかると、車はヨロヨロと頼りなく傾いていた。


そのたびに、ふたりの女性は嬌声をあげていた。

にぎやかな車が、ブドウ畑の中をのんびりと走っていく…。


彼… ソフィアの父親…

アランという名だと、ソフィアが後で教えてくれた。


                         -つづく-

第7回


 

「ブルゴーニュの風」 7




「さあ、着きましたよ…。

 ユジンさん、どうです?

 田舎には不似合いの『お城』でしょう?」

アランの言葉に、ユジンはその建物を眺めた。

まるで、おとぎ話のような館である。


「これが… お宅ですか…?


 …素敵です…。


 ソフィア…

 ここがあなたのお家なの?」

ユジンはソフィアに向かって尋ねた。


「そうよ。驚いた?

 この家…パパのご自慢なの。

 自分では『あばら屋』なんて言ってるけど…

 本当は大のお気に入りなのよ。


 ユジン…

 この家ね… マルタン先生の設計なのよ。」


「…え? …マルタン教授の?」

マルタン教授と言えば、パリの本校で『現代建築』について講義も受けている著名な建築家ではないか…。


「そうなの。

 あのマルタン先生のデザインなのよ。

 …もっとも、古くからこの町にあった家を手直ししたものなんだけどね…。

 先生が、ご自分の『心』をこめて設計してくれたんだって…。


 …え? …ああ… あなたには言ってなかったわね…。


 実はね、マルタン先生とうちのパパは大学時代の友人なのよ。

 だから私、小さい頃から先生のことを知ってるのよ。

 先生…とか、教授とかいうよりも… 私には『パリのおじさま』の方が呼びやすいんだけどね。」


「そうだったの…。

 道理で、あなた… マルタン先生の授業には熱心だったわけね。」

ユジンは苦笑いしながら言った。


「ソフィア。

 父親の恥になるような成績は取らないでくれよ?

 あいつに会うたびに、冷や冷やしているんだからな。」

アランも笑いながら言った。


「わかってますぅ!

 どうせ、親友に娘の監視役を頼んでいるんでしょ?

 心配しなくても、真面目に勉強してますよ~だ。」

ソフィアが舌を出して答えた。


「…それならいい。

 ユジンさんも、よろしく頼みますね。

 このソフィアってやつは… 誰に似たんだか、勉強よりも他のことにうつつを抜かすことが多いんでね…。」


「パパ。それって、自己紹介してるのと一緒よ。

 ユジン、パパってね… 仕事よりも、畑に行って絵を描いてる時間の方が多いんだから。

 いくら若い頃、画家になりたかったからって… 仕事をサボるのは良くないと思うわ。」


「おやおや…。

 だんだん母さんにも似てきたみたいだね。

 おっと、いけない!

 ソフィア。母さんを待たせたままだよ。」


「本当! ママ… 一生懸命夕食の用意をしてるはずだわ。

 早く行って手伝わなきゃ…。

 ユジン、入りましょう!」


「…え、ええ…。  ………。」


父と娘の楽しい会話を聞いていたユジンは、小さく微笑んだ。

懐かしく…

少しうらやましい景色だった。


「…あ。 …雪…。」


家の中に入ろうとしていた3人の肩に、白い雪が静かに落ちてきた。


「…今夜も降るのね…。

 道理で冷えると思ったわ。」

ソフィアがつぶやいた。


「これは、明日の朝は早起きしなければいけないな…。

 畑の様子を見てこなければ…。」

アランも言った。


「パパ。また絵を描きに行くんでしょ?

 風邪をひかないでよ。」


「ああ、わかってる…。

 ユジンさん、さあ中へどうぞ。

 家内が待ってますから…。


 ソフィア。

 今夜はごちそうだぞ!」


「…! やっぱり?!

 ねえ、ユジン。

 うちのママの料理もね、パパのご自慢なのよ。

 …ね! パパ?」


ふたりの会話に心を温められながら、ユジンは空を見上げた。


雪は… どこに降っても白く美しい…。


ユジンは、落ちてくる雪をそっとてのひらで受けてみた。

雪は、一瞬小さな輝きを見せて、そして涙のように溶けて流れた。



          *



ソフィアの母、ナタリーも、ユジンを歓迎してくれた。

「ユジンさん。会いたかったわ…。

 いつもソフィアに食事を作ってくれてるんですって?

 ありがとう。

 何もないところだけれど、気を遣わずにのんびり過ごしてね。


 本当に… ソフィアの言ってた通り…。

 あなた、とっても美しいわ…。」

ナタリーは、手作りの料理を運びながら、そう言った。


「そうなのよ、ママ。

 パリの大学でも、ユジンのファンがたくさんいるのよ。

 それなのに、この人ったら… パーティーに誘われてもすぐに断っちゃうんだから…。


 パパもびっくりしたでしょう?

 こんなに白くて綺麗な人は、なかなか会えないんじゃない?」

ソフィアの言葉にユジンは、

「ソフィア… もうそれくらいにしてよ。

 私、もう顔から火が出そうなんだから…。」


「ははは…。そうだよ、ソフィア…。

 ユジンさんに失礼だよ。

 いや… 確かにユジンさんは美しいよ…。

 私も驚いたな…。


 こんな美人に会ったのは、もう…30年ぶりかな?」

アランは、ナタリーの顔を見ながら微笑んで言った。


「まあっ! 娘の前で、ごちそうさま!!

 でも… 変ね…。


 パパ…。

 23年前にも、美人に会ってるんじゃない?

 小さくって、色白で、瞳がブルーで…」


「…髪の毛は生えてなくて、つんつるてん…だろう?」


「……!!」

ソフィアはふくれっ面で、そっぽを向いた。

それを見てユジンは思わず笑い声をあげた。

母のナタリーもアランも大きな声で笑った。


しまいには、ソフィアまで笑い出した。


温かな家族の団らんが、ここにはあった。

ユジンは、笑いながらまぶたが熱くなるのを感じていた。



ナタリーの手料理は、驚くほど美味しかった。

ユジンは、勧められるままにいろいろなめずらしいメニューを味わわされた。

どれも優しい味付けがされていた。

また、少しだけワインも口にしてみた。

身体が温まっていくのがわかった。


普段は長い時間をかけて夕食を摂るのだ、とソフィアは言った。

しかし、今夜はユジンも疲れているだろうから…と、アランがたしなめた。

その心遣いがありがたかった。

ナタリーも、早めに終えてベッドを整えてくれた。

バスルームもユジンのために別に用意してくれていた。


「とにかく今夜はゆっくりおやすみ。

 また明日にでもたくさん話そう。

 ソフィア…。

 故郷の夜の夢は、きっと楽しいぞ!

 じゃあ、おやすみ…。」


アランやナタリーに挨拶を済ませると、ユジンはソフィアに案内されてその部屋に入った。

「ここが、あなたのお部屋よ。

 いつもは使っていない部屋だから… 気になることがあったら言ってね。

 私の部屋はすぐ隣だからね。

 
 じゃあ…『眠り姫』さん、良い夢を…!」


「ありがとう。

 あなたも良い夢を…。

 おやすみなさい。」


ユジンは、ひとりになった。

あてがわれた部屋は、20㎡ほどのものだった。

落ち着いた調度類に囲まれた、ユジンの目から見ても贅沢な部屋であった。

(…本当にいいのかしら…)

この家の人々の、自分に対する温かさに、不思議な思いさえ抱かずにはいられなかった。

フランス留学を決めた時… ひとりきりの寂しさを覚悟していた自分だった。

確かに、来た当初はホームシックに似た感情にも襲われた。

ひとりの夜には、寂しさと切なさを感じてもいた。


だけど…


泣かないと約束したのだ…。

どこに行っても…

ちゃんと食べて…

ちゃんと眠って…

力強く生きることを約束したのだもの…。


昼間見たあの写真…。

彼は、やっぱり私を見守ってくれている…。


どこにいても…

何があっても…


私は、忘れてはいない…。

彼の足跡を踏みながら、同じ道を歩いてゆくのだ…。



ユジンは、カーテンを開き、静かに窓を開けてみた。


雪…。

初めて来たこの町にも… 雪が降っている…。


(チュンサン…。

 私… 頑張るからね…。)

ユジンは小さくつぶやいた。


                         -つづく-


     




あとがき

どうも「長編ペース」のゆっくりとした進行で書くようになってます。
ようやくユジンの旅の1日が終わりました。

フランスについて、あれこれ調べ回ってます。
地図を開き、航空写真に目を凝らし、いろんな観光案内を探し、ついでに美味しいお菓子を注文し…。

行ったことのない国…。

見たこともない町…。

書いているうちに誤りが目に付くこともあろうかと思いますが、多少は目をつぶってくださいませ。

あ、そうそう…。

「マルタン教授」… どこかで目にしたことのある名前ですよね…。

一息…。

『ブルゴーニュの風』は、フランスの片田舎を舞台にしています。

ブルゴーニュ地方というワインで有名な地方。

僕には縁もゆかりもない土地です。


元々、短編の『冬の残り火 35』としてアップするだけの予定でしたから、あまり細かいところまで下調べもしてませんでした。

今回、少し長めに書くことに決めてから、慌てていろいろ調べています。


ワインのことは、全く意味がわかりません。

料理についても、和食派の僕にはフランス料理の知識はほとんどありません。

それでも書くとなると、多少勉強が必要になります。


dd2dcd36.jpg

























お寿司では、貝類が大好きな僕ですが、エスカルゴ=かたつむり… だめです。

ディジョンの名物らしいですけど… 僕には食べられそうにありません。

①の写真の右上のものですが、②の写真を見たら、勇気がなくなります。

③のお花に詰めたズッキーニはなんとか食べられるかな…。

④のスズキのすり身の白ワイン仕立ては、美味しそうです。


北海道の池田ワイン城や、勝沼のぶどうの丘には行ったことがあります。

しかし、その味に触れたことはありません。

風呂上がりに『マミー』をぐい飲みしながら、こうして書いている自分がなんだか可笑しく思えます。



 

第8回


 

「ブルゴーニュの風」 8




窓から差し込む朝の陽射しに、ユジンは目を覚ました。

やわらかな光が、白いピローケースの上で踊っている。

昨夜閉め忘れたカーテンの隙間から、のぞき込んでいる明るい天使たち…。


ベッドサイドに置いた腕時計を見ると、すでに8時を回っていた。

(いけない…! これじゃぁ、またソフィアに笑われちゃう…。)

ユジンは大きく伸びをすると、ベッドから身を起こした。

旅の疲れもすっかり取れたようだ。


冴えた目で見ると、この部屋の家具や調度の美しさにまた目を奪われた。

あちこちに花をあしらった装飾は、この町の空気を感じさせてくれる。

シンプルな家具も、よく見るとひとつひとつ手作りで仕上げられているようだ。

優しい部屋… そんな感じがした。

ずっと使っていないのだとソフィアは言っていたが、掃除や手入れが行き届いていて、清潔感にあふれている。

(若い女の子の部屋みたい…)

サイドボードの上の小物なども、可愛いデザインのものばかりだった。

(もう私には…ちょっと可愛らしすぎるかな…)


ふと壁に目をやると、一枚の絵が飾ってあった。

淡い水彩画のようである。

描かれているのは、美しい少女…。


ユジンは立ち上がって、その絵に近づいた。


(…ああ… ソフィアなのね…)

横顔を見せて、椅子に座っている少女の絵…。

10代の中頃の彼女だろうか…。

髪をアップにしたうなじの美しさが、清らかに描かれている。


右下に『アラン・レイ・ベルナール』とサインがあった。

あのソフィアの父が描いた作品のようだ。


(そういえば、若い頃は画家を目指していたと…)

ユジンは、しばらくその絵に見とれていた。


コンコン…


部屋のドアがノックされた。


「ユジン…。起きてる…?」

ソフィアの声だ。

「…ええ。起きてるわ。」

ドアが開いて、ソフィアが顔を出した。

「あら、案外早起きなのね…。

 てっきりまだ眠ってると思ったのに…。」

ソフィアは、あの絵のように髪をアップにしていた。

その姿をユジンはにこにこと笑いながら、

「今日からは『早起き姫』と呼んでくれる?」

ソフィアも笑った。

「それは私よりも早く起きてからね。

 しっかり眠れた?

 もうみんなは起きているわ。

 パパなんか暗いうちに出ていったわよ。


 …はい、これタオル。

 早く顔を洗ってきたら?

 朝食の用意もできてるから。」


「ありがとう。

 おかげでぐっすりよ。

 夢も見なかったわ。」


「へえ~。

 私はたくさん見たわよ。

 もうおなかがいっぱい…  あら、やだ…

 今のはパパに内緒よ。


 さあ、早く行ってらっしゃい!」


「ええ。すぐ行くから…。」

ユジンは、ベッドの乱れを直し始めた。


          *


「おはようございます…。

 うわぁ…  美味しそう…!」

ユジンの歓声に、ナタリーが苦笑した。

「そんな… 簡単なものばかりなのに…。

 手の込んだものなど何もないのよ。」

そうナタリーは言ったが、美しく盛られたトマトだけでも心が込められているのがわかった。


「いいえ…。もう充分です。

 いつもはトーストとコーヒーだけなんですから…。

 それですら、食べる時間もないくらいなんです。

 ねえ? ソフィア…。」

ユジンが言うと、

「それは、誰かさんが寝坊助だからじゃない?」


「あら? お化粧に1時間もかけてるのはどなただったかしら…?」

ふたりは、互いに肘で相手をつつきながら、並んでテーブルに腰掛けた。


「まあまあ… あなたたち、本当に仲がいいのね…。

 まるで本当の姉妹みたい…。」

ナタリーも微笑みながら言った。


「どっちが姉かわからないけどね…。

 ユジンったら、時々まるで子どもみたいなことを言うんだもの…。」


「…ん? 何、それ…。」

ユジンが聞いた。


「そうね…。

 う~ん… 例えば…


  『朝ご飯はひとりで食べちゃ寂しいわよ』とか…

  『貯金箱がいっぱいになったら、船を買いたいな』とか…


 まるで子どもみたい…!」


「………。」

ユジンは手元のカップを見つめている。


ナタリーが言った。

「…素敵じゃない…。

 船を買って… 世界中を旅できたら… いいと思うわ…。


 ユジンさん。 そうよね?」


「……ええ…。  ………。」

ユジンはかすかに微笑むと、うつむいて黙り込んだ。


「……?」

そのユジンの様子に首をかしげたナタリーが、気づいたように言った。

「あらあら、おしゃべりに夢中で…

 さあ、早く召し上がって…。

 紅茶が冷めちゃうわ。


 ユジンさん、今スープも温めてるから待っててね。」


「本当にすいません…。

 なんだか…  いいのかな…

 私、申し訳なくって…。」


「何が申し訳ないの?

 私たち、友達でしょう?

 ママもパパも… みんなあなたの友達なのよ。」


「………。」

ユジンは胸がいっぱいになりながら、うなずいた。

「じゃあ、食べましょう!

 いただきま~す!!」

ソフィアが大きな口でパンにかぶりついた。

「まあ! この子ったら!!」

ナタリーの目を見開いた顔と、首を縮めたソフィアの顔を見比べて、ユジンは声をあげて笑った。


                            -つづく-


     




 

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