冬ソナで泣きたい! ~Poppoの落書き帳~

   あなた… 今でも泣きたいんでしょう?    …泣くならここが一番ですよ…

『冬の残り火』

第10話「夢 ~冬と春~」


「夢 ~冬と春~」





冬が終わろうとしている。

春川の町にも、春のやわらかな陽射しがこぼれ、木々の枝を暖めていた。
溶けた雪が、水たまりを作りながら、坂道を流れていく。

ユジンは、その流れに逆らうように、丘の上に向かって上っていった。


「お姉ちゃん…。

 本当に行っちゃうの…?」

隣を歩くヒジンが聞いた。

姉が、フランスに留学すると聞いて、ヒジンも心細く感じていた。

「ええ…。

 もう、決めたの。

 …ん? 何か心配?」

ユジンは小さく微笑みながら言った。


「…だって… 私、ソウルに行ったらお姉ちゃんと暮らせると思ってたのに…。

 お姉ちゃん… またひとりで行っちゃうんだもの…。」

そう言って、ヒジンは寂しそうにうつむいた。


この春から、ソウルの大学に進学することになっている妹だった。

初めてのソウル暮らしに、自分を頼りにしていたのだろう。


「…ごめんね。

 …でも、もうあなたなら大丈夫よ。

 一人で食事の用意もできるでしょう?


 大学で… しっかりと将来の夢を見つけてね。」

ユジンの言葉に、ヒジンは遠くの空を見つめた。


「…夢か…。

 …私の夢は… ちょっと難しいかな…。」


「…ん? …どんな夢?」


「…どんな夢って…  恥ずかしいわ…。」

ヒジンはクスクス笑っている。


「教えてよ。

 ヒジンの夢って、なあに?」


「…あのね…

 …あ… ママには内緒よ。


 …私ね…  女優になりたいの…。」

ヒジンはくすぐったそうに言った。


「…女優? …映画とかドラマの?

 …そうなんだ…

 …あなた、女優になりたいの…。」


「…あ! お姉ちゃん! 笑ったでしょ?

 だから、難しいって言ったの!」


「笑ってないわよ。

 …人の夢を笑ったりなんかしないわ。


 …じゃあ、その夢に向かって頑張るのね。

 …演技の勉強などもするの?」


「うん。

 ソウルに行ったら、どこかの劇団に入ろうかと思って…。

 でも… 大学と両方じゃ… お金が心配…。」

ヒジンは、またうつむいて道の小石を蹴った。


「…大丈夫よ。

 お金がなくても… 劇団に入れなくても…

 大学に行かなくても…

 …夢に近づく道はいくつもあるはずよ。」

ユジンは、空を見上げて言った。


「そうかな…。 本当にそうならいいんだけど…。

 …お姉ちゃん…

 お姉ちゃんの夢はなあに?」


「…え? …私の夢?」

ユジンは答えに詰まった。


「だって、これからフランスに留学するんでしょ?

 その夢のために行くんじゃないの?

 3年もフランスに行くなんて…

 ずいぶんお金もかかるんでしょ?」


「…お金のことばかり心配してるのね。

 あなた、結構しっかりしてるわ。」


「お姉ちゃんが、楽天家なのよ。

 なんだかうらやましいわ。」

ヒジンの不満そうな顔に、ユジンは笑った。


「こんな楽天家の姉と暮らさなくてよかったでしょ?」


「それとこれとは別よ。

 お姉ちゃんがいないと… 寂しいわ…。」

ヒジンの目が潤んでいる。

「………。」

ユジンも、溢れそうな目で妹を見た。


「あなたは、あなたの思った道を歩けばいいのよ。

 ママや私のことは気にしなくていいの。

 夢は… あなたの夢は、あなたのものよ。」

ユジンはそう言って、前を向いた。


(…私の夢…   それは… もう諦めたの…

 …ごめんね… ヒジン…)


夢は、いつか諦める日が来ることもあるのだと…。

そして、人はまた新しい夢を見つけようと歩き出すのだ。


「…さあ…

 パパが待ってるわ。急ぎましょう。」

ユジンは、足を速めた。


「あ、待ってよ。お姉ちゃん!」


二人は父の墓地に向かって急ぎ足で坂を上っていった。


(…パパ… パパの夢はなんだったの…?)

ユジンの胸に、懐かしい父の笑顔が浮かんだ。


そして…



(…チュンサン…  あなたの夢は…?)



ユジンの上に、梢の露が降りかかり、頬を濡らしながら流れて落ちた。




                                  -了-


あとがき

新宿の兄妹の事件を思い、書いてみました。
あまりにも陰惨で、言葉も浮かびません。

冬ソナの世界とは別の世界のように思えました。
でも…やっぱりそうじゃない、と。

僕たちの暮らすこの街で、人々はみな夢を持って生きているのだと。

夢はひとりで見るもの?
夢は、その人だけのもの?

ユジンの夢をかなえられるのは、ユジンひとりではないのです。
   

第11話「凍湖」


「凍湖」





チュンサンは、湖に石を投げている。

水面を切って走る石は、何度か湖面をはじけて沈んでいく。

私は、黙ってその彼の背中を見ていた。


きっと、まだ戻らぬ記憶への苛立ちを、そうやって抑えているのだろう。


私は、そんな彼の心の苦しさに、かける言葉を探していた。



チュンサンが言った。

「ここで… こうやって石を投げたりしたの?」

私は、はっとした。

「…覚えてるの?」

そう… あの日の彼も…。


しかし、チュンサンは寂しげに言った。

「…いや…。…そんな気がしたんだ…。」


やはり、彼は思い出せないのだ。


「…あの時は、水が凍っていたのよ。

 氷の上を転がる石の音が、とてもすてきだったわ…。」


あの日のふたり…。

楽しかったあの日は、凍った湖のように… もう…。


思い出したあの日…。

私は、言った。


「それ以外にも…まだあるの。

 それはあなたの記憶がたとえ戻っても、わからないことよ。

 私と…彼らだけが知ってることなの…。」


彼が言った。

「…? 何だい…?」


私は、彼の目を見つめて言った。

「ここで… あなたとお別れをしたの…。」


そう… カン・ジュンサンとのお別れを…。


「…チンスク… ヨングク… チェリン… サンヒョク…

 …私たちだけで、お葬式をしたのよ。

 …生きていたのにね…。」


「…泣いたのか?」

彼の問いに、私は首を振った。


「…ううん。

 …不思議と、涙は出なかったわ…。

 …あなたは戻ってくると…思っていたのかも…。」


彼の顔が、苦しげに見えた。

彼は、詫びるように言った。

「…僕は、何ひとつ覚えていなかったのに…」


彼の、自分を責めるような言葉…。

私は、私のために記憶を取り戻そうとしているのかと問うた。

彼は、違う、と言った。

自分も、思い出したいのだ、と。

本当の『チュンサン』になりたいのだ、と。


私は、彼に言った。

彼が… 『イ・ミニョン』だった彼が私に言った言葉を思い出しながら…。


『世界は、こんなに美しいのに… なぜ悲しいことばかりを思い出そうとするのか…』


私は、もう過去を追い求めるのはやめようと思った。

それが、こうして今の彼を苦しめているのだ。

思い出は、湖の底に凍ったままでいい…。


今は… そう、今は…

目の前に、あなたがいる…。


愛しているのは… 目の前のあなた…  あなたなの…。



彼は、私を抱き寄せた。

そのぬくもり…。

今… 確かに伝わってくる彼の温かさ…。


私は、それを求めていたのだから…。


私はつぶやいた。

「あなたの記憶が… たとえ凍ったままでも…かまわないわ…。

 私の耳には… あの日の美しい石の音が残っているもの…。」


彼は、言った。

「…その音… 僕も聞きたい…。」


私は、彼の背中を撫でながら言った。

「…大丈夫… 冬は終わったのよ…。

 やがて、氷も溶けるはずよ…。


 あなたの凍った記憶も… いつか… 流れ出すわ…。」


「…ユジン…。」


彼の声にならない叫びを、私は初めて聞いた。


「…チュンサン…。」


私たちは、湖面にひとつの影を映しながら、いつまでも抱き合っていた。



冬の終わりを… まだ知らないまま…。




                             -了-


あとがき

冬ソナ本編第15話の場面からのストーリーです。
ボツ原稿を大幅に書き直してみました。
ほとんどドラマのままですが、後半だけはちょっと創作。

これもプレゼントとして書きました。

ユジンとチュンサンのふたりを愛し続けている「Touko」さんへ。
ですから、タイトルも『凍湖』とさせていただきました。
日頃のご来訪への感謝をこめて…。
  

第12話「私信」


「私信」





チュンサン… 元気でいるかしら…。

ニューヨークも寒さが厳しいんですってね…。

パリも、冷たい風が毎日吹いているわ。


パリに来て… 初めての冬…。

ひとりきりの冬…。

でも、寒くなんかないわよ。

私の心の中には、あなたという暖炉があるから…。



暖炉…。

思い出すあの吹雪の夜…。


あなたの眼鏡を勝手にはずしたあの夜。


あなたの言葉に、心を乱された夜…。



あの吹雪の中にいたのは、確かに私とチュンサン… あなただった。

ふたりで、吹雪が止むのを待っていたのね。

互いに激しい言葉をぶつけながら…

互いの心を温め合っていたのかもしれない…。


吹雪は… 止まなかった。



冬の嵐は、こうして… 私たちふたりを離ればなれにしてしまった…。



どうしてなのか… 今もわからない…。


運命のいたずら…。

そう呼ぶには、あまりに悲しすぎて…。



でもね… あなたの心は、なぜか温かく伝わってくるの。

離れていても、わかるの。

あなたの優しさは、いつもここにあるの。




私ね… パリに来て、ようやくあなたのことがわかってきたのよ。


あの頃…

高校生だったあの頃のあなたのことも…。



あなた… きっとチヌおじさまを自分の父親だと知っていたのね。

だから… 春川に転校してきたのでしょう?

だから… サンヒョクにあんな態度をとっていたのよね?


可哀想なチュンサン…。


あの頃、もっとあなたの寂しさをわかってあげられたらよかったのに…。

影の国にいるあなたを…

私は、何にもわかってあげられなかった…。



あなたが突然私の家から去ったのも、今はその理由もわかってる。

あの… アルバムのせいだったのでしょう。

あなた… 驚いていたもの…。


あなた… 私のパパを…


そして… あの事故…。



あなたは、私との約束を忘れていなかった。

私は、それがうれしかった。

だけど… 喜べなかった。

あなたが、そのために…。


あなたに言えなかった言葉…。

私は何度、ひとり胸の中でつぶやいただろう…。



あなたを失ってから、私は人を愛することを忘れていた。

もう… 誰も愛せないと思っていた。

サンヒョクと婚約はしたけれど… 心の奥には、別の私がいるのを感じていた。


愛することを、思い出させてくれたのも… あなた。

ミニョンさん… という名前の…あなた。


私は、戸惑っていたわ。

チュンサンしか愛せないと思っていたから…。

チュンサンだけが、私の心を包んでくれる人だと思っていたから…。

なのに、それを壊そうとするあなたに、愛情と憎悪を感じていたの。


あなたを愛してしまう…。

それが怖い…。

だから憎い…。




あなたがチュンサンだったと知って、私は救われた。

あなたを愛したことが、間違いではなかったと… そう思ったの。


でも…


あの時の…


あなたと私が…


本当なの? 本当のことなの?

私の心は、狂いそうになりながら叫んでいた。



今は… それも冬とともに消えた記憶…。

あなたは… 昔と変わらず…

『秘密』にしたまま、姿を消した…。



私に思い出だけを残して…

チュンサン…

それがあなたの優しさだと… 私は知っている…。




昨日ね… パリにも初雪が降ったのよ。

白い雪は… やはり美しい…。




その雪は、すぐにとけてしまったけれど… 私の心に温かくしみ込んできたの。


あなたが… 好き…。

あなたを… 愛してる…。


今も…  これからも…。




あなたにこうして書く手紙…。

出すことのない手紙…。



ごめんなさい…。


私は、まだあなたのそばにいられない…。




いつか…


私が、強く生きていけるようになった時…



その時は、あなたにもう一度逢いたい…。




あなたの手を握って…

あなたの足跡をたどって…


…同じ道を歩きたい…。




それが… 私の夢…

あなたへの… 想い…



ポラリスにかけた… 誓い…




チュンサン…


私… ちゃんと食べているわよ…。

ちゃんと… 眠っているわよ…。


ちゃんと… あなたとの約束を守って…

こうして… あなたの元へ走りたい気持ちを抑えてる…。



チュンサン…

今…  あなたは…




  ………。



                                 -了-



あとがき

これもボツ原稿だったもの。
僕の、最後の作品にするつもりで書いたものです。

僕の思いを、ユジンに託した手紙です。

少し、書き直してみました。 

第13話「登校のバス」


「登校のバス」






朝の冷気が通りを流れていく。

道路脇の排水溝からは、大きな湯気が上がっている。

その湯気も、朝日の中で輝きながら消えていく。


(…ユジン…  今日もいないな…)


サンヒョクは、かじかむ手をこすりながら、ため息をついた。

吐く息は、白く憂鬱だった。


この頃は、バス停で一緒になることがなかった。

学級委員の仕事があるので、早めのバスに乗ることが多かったが、以前はユジンも同じ時刻のバスだった。


(…ヒジンのお弁当に、手間取っているのかな…)


『遅刻魔』とパク先生に渾名されるほど、ユジンは遅刻が多い。

しかし、それが家の都合だということを、サンヒョクは知っている。

早く仕事に出かける母に代わって、ユジンがヒジンに朝食を作ったり、弁当を用意したりしているのだ。


(本当は… 僕なんかより、ずっと早起きなのに…)


そんな苦労を全く見せないで、明るく笑うユジンの顔を思いながら、サンヒョクはバスに乗り込んだ。


(…ユジン… 遅れるなよ…)


動き出したバスの窓から、サンヒョクはバス停の方を見た。

ユジンが駆ける姿は、見えなかった。




          *



(…間に合った!!)


坂道を走ってきたユジンは、白い息を吐きながら、バスに乗り込む列に着いた。

やはりこの時間帯では、すし詰め状態である。

ユジンは鞄を胸に抱くと、必死にステップの上に足を差し入れて、手すりを握った。

バスの後方の席に目を向けたが、人混みで見ることはできなかった。

片足だけでステップに立っている姿勢は苦しかった。



やがて、乗客が減り始めた。

通勤の人々は工場街で一斉に降りていたし、他校の生徒たちもその高校前で降りていった。

ユジンは、バスの後方に移動した。


…彼は、いた。


いつものように、後部座席に座っていた。

角の席には鞄を置いてある。

自分のために…取っておいてくれたのだと思った。


「…おはよう。」

ユジンはチュンサンに声をかけた。


「…おはよう。」

チュンサンも笑って、鞄を除けた。


ユジンは、その席に座った。


「…ああ、疲れた…。

 …本当に、なんでこのバスはいつも混むんだろう…。」

ユジンは、首筋を揉みながら言った。


「きっと… 『遅刻魔』ばかりが乗るからだよ。

 あまり太るなよ…。

 みんなの迷惑になっちゃうから…。」

チュンサンが小声でささやいた。


「…! 失礼ね!」

ユジンが睨むと、チュンサンはクスクス笑った。


「今日も、遅刻かな…。」


「…大丈夫そうよ。

 まだ20分あるわ。」

ユジンが時計を見ながら言った。


「20分あれば…

 寝ちゃうだろう?」

チュンサンの毒舌は止もうとしない。


「また、それを言う!

 今日は、もう寝ないわよ。

 大丈夫よ。」

ユジンは、あくびをかみ殺しながら答えた。


「…そうか…。

 …じゃあ… 世界史の時間かな…。

 …この間みたいに…。」


「…あ。 見てたの?

 …嫌な人…。」

ユジンは、そう言った後、窓を小さく開けた。

朝の風はまだ冷たかったが、ここで眠るわけにはいかなかった。


「……。」

チュンサンは、風の合間に薫るユジンの髪の香りを感じていた。

胸の中に、ときめくものを覚えながら…。


「…お昼は、持ってきた?」

ユジンが言った。


「…ん?

 …パンでも買うよ…。」

チュンサンが答えた。



「…パンばかりじゃ身体を壊すわよ。

 …今日は、私たちが放送当番でしょ?


 …余分に作ってきたから…

 …一緒に食べましょう!」


「………。

 君が… 作ったの?」


チュンサンは、目を丸くしている。


「もちろんよ。

 これでも料理は得意なのよ!」

ユジンは少し胸を張って言った。


「…余分に…って…

 …本当は、全部自分が食べるものだったんだろう?」


「…違うわよ。

 そんなに食べきれるわけないじゃない。

 おむすびだって5個もあるんだから…。


 私は2個… あなたは… 3個でいいよね?」



「………。

 君が3個食べたら…


 このバスが、なおさら窮屈になるって…

 さっき言ったろう?


 この席にも座れなくなるぜ。」



「まだ、言うのね!

 …じゃあ、キムチも追加しちゃうわよ。

 めちゃくちゃ辛いんだから!

 その失礼な口に、放り込んであげるからね!」


「…ああ、いただくよ。

 ごちそうさま…。」

そう言って笑ったチュンサンにつられて、ユジンも笑った。


「…さあ… 次、降りるんだよ。

 …う~ん… 走ればなんとか間に合いそうだね。」

チュンサンが時計を見て言った。


「…間に合わなかったら… またお願いね。」


「…ん? ……。

 …あの作戦かい?

 …けっこう重いんだよな… 君…。


 …痛っ!」


思い切りひじ鉄をもらって、顔をしかめたチュンサンを後に、ユジンは席を立った。


「ほら! 降りるわよ!」


「……!」


ふたりは、あの日のように、一緒に校門に向かって駆け出した。


(……!)

チュンサンは、角のパン屋を横目で見ながら、駆け抜けた。

となりを走るユジンの横顔が、朝日を受けてまぶしかった。


                               -了-



あとがき

とりとめもないストーリーです。
「冬の挿話」に入れようか迷って、結局ボツにした作品です。
お弁当の話は、連作『お昼の校内放送』でも書かれた方がいましたから。

まぁ、落書きにもならない『メモ』としてアップしておきます。

第14話「Pluto ~あれから1年後~」1


「Pluto  ~あれから1年後~」



          1




(…もう… 今日だけで、何回目かな…)

サンヒョクは、放送局のスタジオで大きく伸びをした後、ため息をついた。


オンエアされている曲は、この時期らしく『ジングル・ベル』だった。

もうすぐクリスマス…。

ソウルの街も、華やいだ雰囲気に包まれている。

スタジオの中にも、女性スタッフが飾ったのだろう… 可愛いサンタの置物が置かれていた。

トナカイのぬいぐるみもあった。


先週は日本への出張で、しばらくぶりのスタジオだった。

7時までの番組が終われば、今日の勤務も終わる…。


「よう! キムPD!

 ひさしぶりだな!」

ドアを開けて入ってきたのは、DJのユ・ヨル先輩だった。


「どうだった?日本は?

 取材はうまくいったのかい?」

ユ先輩は、明るい笑顔で言った。


「ええ、まずまずですよ。

 来週には、編集も終えて放送できますよ。」

韓国のアーチストの日本公演にあたっての、インタビューの仕事だったのだ。


「そりゃあ楽しみだ。

 日本との交流も、近頃はいいようだな。

 やはりワールドカップの影響かな?」

サッカー好きのユ先輩も、興味があるらしい。


「そうかもしれませんね。

 やはり共同開催の意義は大きいでしょうね。

 日本でもかなり盛り上がってましたよ。」


「そりゃあうれしいな…。

 今までの両国の垣根が取り除ければ… お互いにとって幸せなことだろうよ。


 …ん? それ、日本のCDだな?」

ユ先輩は、サンヒョクの手にあるCDに目をとめて言った。


「…ええ… そうです。

 僕… この曲が好きなんです。」


CDには、『クリスマス・イヴ』とタイトルが書かれている。

日本ではこの時期の定番曲である。


「…キムPD… まさか、それを放送しようと言うんじゃないだろうな?」

先輩が、少し心配そうな顔で聞いた。


「いえ、さすがにそこまでは…。

 無理だってことは、僕だって知ってますよ。」


公共の電波では、まだ日本の歌謡曲を流すことはタブーなのである。


「…そうか…。 それならいいが…。

 それを流したら、始末書だけじゃすまないからな…。

 残念だが… まだ、そのあたりは難しいらしいよ。」

ユ先輩も、表情を曇らせている。


「サッカーだけでなく、いろんな文化交流が進むといいんですがね…。

 いつかは、そうなる日もくるんでしょうが…。」


「ああ、そうだな。

 時間が…解決してくれるだろう…。

 人と人とが、そんなにいがみ合っていたって、未来にとっては何の得にもならないのだから…。」


「そうですね…。

 時間…。

 時間が、一番の薬なのかもしれませんね…。」

サンヒョクはつぶやいた。


(…時間…。 いったい…どのくらいの時間が経てば…  僕は、諦められるのだろうか…)


サンヒョクの寂しげな表情を見つめていたユ先輩が、言った。


「ところで、そこにある箱はなんだい?」

壁際に大きな段ボール箱があった。

見たところ、放送関係の機材ではないようである。


「ああ、これですか?

 これ… お土産ですよ。

 ええ、先輩への。


 …ああ、中身ですか?


 ちょっと待って下さい… 今、開けますから…。」

サンヒョクが、箱のひとつを開けて、中から取りだしたのは…


『日○ ど○兵衛』

日本のカップ麺だった。


「…! なんだ、カップ麺か。」

ユ先輩は、サンヒョクから手渡された品を見ながら言った。


「結構美味しかったですよ。

 日本のカップ麺はさすがですね。

 ワールドカップで日本を食ってやろうと思って…

 しこたま買い込んできました。

 深夜の放送の時に食べて下さいね。」

サンヒョクが笑いながら言った。



「こんなにひとりじゃ食えないよ。

 お前も一緒に食えよな。


 …しかし… たくさん買ったものだな…。

 ひい、ふう、みい…  

 おいおい… 200個くらいあるんじゃないか?」


「はい、いろんな味も揃ってますから。

 当分夜食には困りませんよ。」


「ちぇっ! 独り者だと思って…。

 どうせ、俺は弁当など作ってもらったことなどない男だよ!」

先輩は、そう言って笑った。


サンヒョクも寂しい笑顔を見せた。

「先輩… そんな…。

 僕だって… 独り者ですよ…。」


「………。」

先輩は、黙って視線を落とした。

サンヒョクの左の薬指に、まだリングが残っているのを知っている…。


先輩が、ため息混じりに言った。

「田舎のお袋がなんて言うかな…。

 『カップ麺ばかり食べて… 身体を大事にしない親不孝者め!』

 …なんて、小言を言うだろうな…。


 今年も… 帰れそうにないけど…。」

先輩の顔に、優しい影が宿っている…。


「…カップ麺ばかり…。

 …僕も… よく言われたものですよ…。


 今年は… 帰ってこないらしいけど…。」

サンヒョクは、ユジンの笑顔を思い浮かべながら言った。

「結局、僕たちは当分『独り者』ってことですかね…。

 このカップ麺を全部食べ終わっても…。」


「寂しいことを言うなよ、キムPD。

 お前みたいないい男が… いつまでも独り者でいるわけないさ。


 きっと、また素敵な女性が声をかけてくるはずだよ。

 それまでは、身体を大事にしろよ。

 酒も、ほどほどにな…。」

先輩の言葉に、サンヒョクはうつむいた。

ありがたい言葉ではあったが、なお一層切なくなる言葉だった。


「…おや?

 おい、キムPD!

 …さっそくお声がかかったようだぜ…。」


「……?」


先輩が指を差した窓を見ると、そこにチェリンの顔があった。

こちらを見て、にこにこしている。


「…チェリン…。  何か用か?」

サンヒョクは、ユ先輩の目を気にしながら言った。


「…? 何よ、その挨拶。

 それが長い付き合いの友人に対する挨拶?


 別に用があったわけじゃないけど、たまには一緒に食事でもしてあげようと思ってきたのよ。

 迷惑なら、帰るわよ。」

チェリンがまくしたてた。


ユ先輩が、言った。

「チェリンさん、勘弁してやってくださいよ。

 今、ちょうど彼と話してたところなんです。

 もうすぐ美人が現れるはずだって…。


 それで、彼… ちょっと照れてるだけなんですよ。」


「…! あら? そうでしたの?

 そんなことなら…。

 …サンヒョク!

 どうするの?

 行くの? 行かないの?


 あたしだって、暇じゃないのよ。」

ユ先輩には、とびきりの笑顔を見せたチェリンが、口をとがらせて言った。


「…わかったよ。

 もう仕事は終わったから… 行くよ。


 用意をするから、下のロビーで待っててくれるか?

 ああ、すぐ行くから…。

 じゃあ…。」

サンヒョクは、そう言ってチェリンを見送った。


「キムPD… いい人じゃないか…。

 きっとお前の寂しさをわかってくれてるんだろうよ。」

ユ先輩は、そう言って肩をたたいた。


「どうですかね…。

 あの調子ですから…。


 じゃあ、すいませんが、後はよろしくお願いいたします。」


「ああ、わかってるよ。

 せっかくのカップ麺をいただくよ。

 お前は、あの美人と美味しい物でも食べてくるんだな。」


「からかわないでくださいよ、先輩…。

 じゃあ、失礼します。」

スタジオを出ると、サンヒョクは下へ降りる階段に向かった。


(………。)

しかし急に携帯を取り出すと、どこかに電話をかけた。


「……では、よろしくお願いします。」

そう言って、電話を切ったサンヒョクはロビーに降りた。


チェリンの後ろ姿が目に入った。


「ごめん、チェリン。

 お待たせ…。」


「…待ったわよ。

 用意…って何よ。


 …見たところ、相変わらずのファッションセンスね…。

 …どうにかならないものかしら…。」


「…相変わらずは、君の方さ。

 …まあいい。

 さあ、行こうか。」


「…ん?

 行くって… 場所もまだ決めてないわよ?」

チェリンが言った。


「…僕にまかせろよ…。

 じゃあ、僕の車で…。」


「………。」

いつの間にか、リード権がサンヒョクに移っていた。


チェリンは、一瞬ぽかんとした後、小さく笑みを浮かべてサンヒョクのあとを追った。


冷え込んだ空には、星がいくつか美しく瞬いていた。


                           -冬の残り火 14 ②につづく-


あとがき

チュンサンがNYに帰り、ユジンがフランスに旅立ってから約1年後の冬…。
その設定です。

第14話「Pluto ~あれから1年後~」2


「Pluto  ~あれから1年後~」



          2



「サンヒョク…。どこに行くのよ。

 …教えてよ。」

車は、ソウルの街を走っていく。

ネオンの渦が、時折まぶしくサンヒョクの横顔を照らしていた。


「…すぐ着くから… 待ってなよ。

 別に変なところじゃないさ…。」

そう言って、サンヒョクはにこにこしている。

「………。」

チェリンは、そんなサンヒョクの強引さに、多少困惑しながらも、不快な気持ちは覚えなかった。

いつもはぶっきらぼうな彼の、違う部分を初めて見たような気がしていた。



「…さあ、着いたよ。

 チェリン… ごめんね。

 おなかも空いただろう?」


車が到着したのは、ソウルでも指折りの一流ホテルだった。

サンヒョクは、エントランスに車を入れると、駐車場の係員に言った。

「先ほど予約の連絡をしたキム・サンヒョクですが…。」


「はい。お待ちいたしておりました。

 では、お車の方はこちらでお預かりいたします。」

サンヒョクは車から降りると、助手席のドアを開け、チェリンをエスコートするように手を取った。

(………!)

チェリンは、少々どぎまぎしながらも、車を降りた。


「いらっしゃいませ。

 ご予約のキム・サンヒョク様ですね?」

ボーイが声をかけてきた。


「ああ、そうだよ。

 席は大丈夫ですか?」

サンヒョクが、言った。


「はい。ご用意できております。

 こちらへどうぞ。お席の方にご案内いたします。」

ボーイは、駐車場の係に車の移動の確認をすると、ふたりをレストランの方へと案内した。

フランス料理が美味しいという評判は、チェリンも聞いたことがあった。


「…サンヒョク…。 大丈夫なの?

 ここって… かなり高いんでしょう?

 あなた… 来たことがあるの?」

チェリンが小声でささやいた。


「…ん? 大丈夫だよ。

 前に一度来たことがあるんだ。

 
 せっかくだから、君にごちそうしようと思って…。

 出がけに予約しておいたんだ。」


「…そうなの?

 …それはありがたいんだけど… 本当にいいの?」

チェリンはまだ不安そうな顔をしている。


「なんだよ…。

 僕なんかとじゃ嫌なのかい?」


「そういうのじゃないわよ。

 なんだか… 悪くって…。」



「馬鹿だな…。

 君みたいな人を、近所のラーメン屋に連れていくわけにはいかないだろう?」


そう言うと、サンヒョクは笑って歩き始めた。

チェリンもその後ろを歩きながら、何だか不思議な気分に襲われていた。



          *



案内された席は、ソウルの街が見渡せる最上階にあった。

窓から見える夜景が美しかった。


(あれから… そろそろ1年か…。)

サンヒョクは、流れる車の光跡を見つめながら、ふとその当時を思い出していた。


あの日…

早朝から、ひとりエントランスでユジンが出てくるのを待っていた。

ミニョンからの電話を受けて、ただその言うとおりに待っていたのだ。


記憶が戻らないミニョン…。

彼は、結局アメリカに戻ることを選んだ。

それを追ったユジン…。


そして… あの事故…。


もはや、どうにもならない運命だと知った、あの日…。




チェリンも、窓の外を眺めながら、ミニョンのことを思い出していた。

このプラザホテルを、彼は定宿にしていた。


(彼も… この夜景を見ていたのかしら…。)

あの頃の、彼の笑顔と… そして冷たく変わった横顔…。


(…サンヒョク…。 あなた… それを知っていて、ここを…?)

目の前のサンヒョクは、静かに外を見ている。


「…チェリン…。

 フランス料理は、僕… あまり詳しくないんだ…。


 注文は、君にまかせてもいいかな?」

サンヒョクが、振り向いて言った。

その顔は、無邪気な微笑をたたえている。


「……!」

チェリンは、その笑顔にほっとする思いがした。


「なんだ…。

 私、てっきり、あなたはいつもこんなところに来てるのかと思ってたわよ。」

チェリンも笑いながら言った。


「…まさか…。

 そんな身分じゃないよ。


 君が誘ってくれなかったら、今夜もカップ麺の予定だったのさ。」

サンヒョクがおどけて言った。


「カップ麺?

 …だめよ、そんなものばかり食べてちゃ…。


 ちゃんとした物を食べないと、身体を壊してしまうわよ。

 もっと自分の身体を大切にしなきゃ…。」

チェリンが、厳しい顔で言った。


「…そうだね…。

 …ありがとう…。 ………。」

ふいに、胸にこみあげてきた思い…。

サンヒョクは、涙があふれそうになった。

久しぶりに、人から優しい言葉を聞いたような気がした。

チェリンの顔が、かすかに滲んで見えた。



オーダーは、チェリンが全て行った。

出されたワインのグラスから、芳しい香りが漂っている。


「じゃあ… お互いの健康を願って、乾杯しようか…。

 チェリン…。 君のお店の繁盛もついでに願って…。」


「ええ。ありがとう。

 でも、車があるから少しだけね。

 …乾杯!」


ふたりはグラスを合わせた。

カチンと小さな音をたてたグラスに、温かな照明と香気が揺れている。

ふたりは食事をとりはじめた。



しばらくして、チェリンが言った。

「美味しいわね…。

 本場にも負けないくらいだわ…。

 サンヒョク…。ありがとう。」


サンヒョクも手を止めて言った。

「よかった…。

 僕… あまり味がわからないよ。

 確かに美味しいけれど、やはり食べ慣れてないせいかな…。

 君、フランスにいた頃は、いつもこういう物を食べてたんだろう?」


「…馬鹿ね…。 そんなしょっちゅう食べられるわけないじゃない…。

 たまに…よ。」

チェリンは笑いながら答えた。

「…そう…。

 それは…  ミニョンさんと…?」

サンヒョクは、視線を料理に落としたままで言った。


「……!  ………。

 …そんなことも…あったわね…。

 …でも… 彼の話は、もうやめて…。」

チェリンがつぶやいた。

サンヒョクは顔をあげた。

チェリンの目に、寂しげなものを見つけた。

「…ごめん…。

 …悪いこと言っちゃったね…。」

サンヒョクもつぶやいた。


ふたりの間に、しばらく沈黙が続いた。


前菜が去った後、チェリンがようやく口を開いた。


「お母様はお元気…?

 あまり良くないと聞いてはいるんだけど…。」


「…母さん?

 …うん… そうなんだ…。

 まだ寝たり起きたりの状態だよ。

 一時期よりは、ずいぶん良くなったけどね…。」


「そう… 大変ね…。

 ちゃんとお食事を召し上がっているの?」


「…いや… それが…。

 最近は、全く台所にも立たなくなったよ。

 あの母さんが…。

 料理だけは、世界一だと… 僕、そう思っているんだけどな…。」


「…! …だからね…。

 フランス料理も口に合わないのよ。

 あなた… お母様のお料理が一番美味しいと思ってるんでしょう?」


「ああ、そうかもしれないな…。

 …? それって、僕がマザコンだとでも言いたいのかい?」


「…違って?」


「……! ちぇっ! 否定しにくいな…。」


そう言うと、サンヒョクは笑った。

チェリンもクスクス笑っている。


「クリスマスには、お母様も何かお料理するんじゃない?

 ちゃんと食べてあげるといいわ。

 そういうのがきっと、お母様には今一番大切なんだと思うの。」


「そうだね。

 でも… 仕事があるからな…。

 クリスマスと言えば…

 チェリン… 覚えているかい…?

 昔、山小屋に行った時のこと…。」

サンヒョクの言葉に、チェリンはうなずいた。


「もちろん覚えてるわよ…。

 みんなで… そう… みんなで行ったのよね…。」


(…あの頃の… 私たち6人は…)


「あの頃の僕って、どんなやつだった?」

サンヒョクが言った。


「…え? どんなやつ…て?」

チェリンがたずねた。


「…う~ん… どう言ったらいいかな…。

 つまり… いわゆるガリ勉だったかい?」

サンヒョクは、困ったような表情で言った。


「……! もちろんよ。

 他にどう表現していいかわからないくらい、あなたって『ガリ勉』だったわよ。」

チェリンはおかしそうに笑った。


「…! 他に言い方がないのか?

 なんだか情けないな…。」

サンヒョクのしょげかえる顔を見て、チェリンは言った。


「…そうね…。他に言うとすれば…

 まあ、真面目で正義感の強い優等生…ってとこかな。

 センスは良くなかったけど… クラスではマシな方だったかもしれないわね。

 …これくらいなら満足?」


「……! それ、ほめてくれたのかい?

 なんだか変な気分だよ。」


「ええ、最大の賛辞よ。

 …じゃあ、私はどうだった?

 あの頃の私のイメージって、どんなふうだったの?

 …正直に言って。」

チェリンがじっと見つめている。


「…そんな顔で見られたら言えないよ…。

 …でも… そうだな… 君は…


 …何でも自分が一番だと自信を持っていて…

 …そのくせ、ちょっとおっちょこちょいで…

 …けれど、豊かな想像力を持っていて…

 …口は悪いけれど、本当は優しい心で…

 …美人は美人なんだけど…

 …ちょっとまわりからは浮いてる感じがして…」


「…何よ! 悪口ばっかりじゃない!!

 失礼な人!

 ずっとそんな目で私を見てたのね!」

チェリンはそっぽを向いて言った。


「…だって、君が… 正直に言えっていうから…。

 気を悪くしたなら謝るよ。

 …相変わらずだな…。」


「何が相変わらずよ、それはお互い様!

 私たち… 結局… なんにも変わっていないのね…。

 なんだかそんな気がしてきたわ…。」

チェリンはため息をついて言った。



                             -冬の残り火 14 ③につづく-


あとがき

舞台は『ソウルプ○ザホテル』ということになりますかね…。
22階のレストラン『TOP○Z』での食事…。

玄関でずっと待たされたサンヒョクが、1年後最上階で食事をする…。
それもひとつの風景だと思います。

文字数制限に引っかかって、切れの悪いところで次に続くことになってしまいました。 

第14話「Pluto ~あれから1年後~」3


「Pluto  ~あれから1年後~」




          3



「しかたないさ…。

 人ってそんな簡単に変わるものじゃないだろう?

 …でも… よく考えると、君と僕って… どこか似てる気がしてきたよ。」


「…え? …どこが?」

チェリンは不満そうに腕を組んでいる。


「…うん…。

 …どこがって言われると難しいけど…

 …結局…

 …気が付いたら… ひとりなのかな…って…。」


「………。」

チェリンと目を合わせられないまま、サンヒョクはつぶやいた。

チェリンも、何も言わなかった。


メインの料理を、二人は静かに食べ続けた。



やがて、チェリンが静かに言った。

「…あの人たちも… クリスマスをひとりで過ごすのかな…。」


「……。」

チェリンの言った『あの人たち』が誰を指すのかは、サンヒョクにも気が付いた。


「そうかもしれない…。

 なんだか可哀想だな…。」


「…人間って、みんな… 結局ひとりぼっちなのね…。」

チェリンがつぶやいた。


「…それはどうかな…。

 もしそうだとしたら… 寂しいものだね…。」

サンヒョクが言った。


「あなた、さっき言ったでしょ?

 『クリスマスでも仕事だ』って。

 寂しい話よね…。」


「君はどうなのさ…。

 クリスマスは誰かと過ごすのかい?」


「…ええ。

 お店のスタッフたちとミニ・パーティーよ。


 …ん? それも寂しい話なのかな?」

チェリンは首をかしげた。


サンヒョクが笑いながら言った。

「やっぱり僕たち… 似ているみたいだね。

 クリスマスに仕事をして… そしてその後はひとりで過ごす…。

 …同じだね。」


「…! そうか… 同じなのね…。

 しかたないわね。

 まあ、諦めて乾杯しましょうか?


 独り者同士…

 孤独なクリスマスの前夜祭…ということで…。」


「おいおい… あまり飲み過ぎるなよ…。

 じゃあ、乾杯…。

 独り者同士の前途に… 期待を込めて…。」


ふたりは、またグラスを合わせた。

そして互いの顔を見つめ合って笑った。



…決して、人はひとりぼっちではない…

…ふたりは、そう感じ始めていた。



「…チェリン… ありがとうな…。」

サンヒョクが言った。


「…え?

 ………。


 …お礼を言うのは、私の方よ…。

 …ありがとう… サンヒョク…。」


ふたりは、静かに微笑んだ。


「…美味しかったわ…。

 それに…

 …なんだか懐かしかった…。」

チェリンの言葉にサンヒョクもうなずいた。


「僕も… なんだか懐かしかったよ…。

 …じゃあ… 出ようか…。」


ふたりは席を立った。

チェリンは、もう一度テーブルの上を見つめた。

小さなクリスマス・ツリーに、これもまた小さなサンタが笑っているカードがかけられていた。

そのサンタの笑顔が、チェリンの目に優しく映った。



          *


外に出ると、空にはめずらしく星がたくさん見えた。

「きれいね…。

 サンヒョク… 見て…。

 あんなに星が輝いているわ…。」


「本当だ…。

 きっとクリスマスも近いから、神様のプレゼントだよ。」

ふたりは一緒に空を眺めた。


「…あの星の中に… 私の運命の星もあるのかな…。

 どうせ… 小さな星なのでしょうけど…。」


「ああ、誰にでもひとつずつの星があるそうだね。

 …僕の運命の星はどれだろうな…。」



「あんなにたくさんあるのに…

 運命の糸で結ばれた星は、たったひとつなんですってね…。」



「そう…かな…。

 …あ… あれ…オリオン座だよ。


 見えるかい?

 ほら… 仲良く3つ並んだ星があるだろう…。


 きっとあの星たちは、運命で結ばれた星なんだよ。」



「…でも… 星って、あんなふうに並んで見えても…

 本当は、遠く離れているんでしょう?

 人の心と同じよ…。」

チェリンが寂しそうに言った。


「……。

 そんなふうに考えるなよ…。

 遠く離れていても… つながった心は、切れたりしないものだと思うよ。


 僕たち…

 自分の星にさえ、まだ気が付いてないだけなのかもしれないよ。」

サンヒョクはそう言って、チェリンを見つめた。


「…私… 見つけられるかな…。

 こんなに星があるのに…

 どれにも、心が惹かれないの…。


 きっと、私には『運命の星』なんて見つけられないのよ。

 もしかしたら、私にはそんなものはないのかもしれないわ。」


「…見つけられないなら、朝が来るのを待てばいい。

 そうすれば見つけられるよ。」


「…ん? どういう意味?

 朝が来たら、星はみんな見えなくなっちゃうじゃない…。」

チェリンが言った。


「…いや… ひとつだけ見つけられるさ。」

サンヒョクは笑いながら言った。


「…? どうして?

 朝が来たら、太陽の光で星なんて見えやしないわよ?」


「…その太陽を… 君の星にすればいいじゃないか…。

 君には… それが一番似合ってるよ…。」


「………!」

チェリンは、サンヒョクの顔を見つめた。


次第に心が温かくなっていくのがわかった。


「サンヒョク… ありがとう…。」


「…? もうお礼はいいから…。

 さあ、帰ろうか?

 ずいぶん冷えてきたからね。

 ああ… 君の家まで送るよ。

 明日も忙しいんだろう?」


「ええ、今がかき入れ時…かな。

 あなたも仕事、頑張ってね。」


「ああ、お互いな。

 じゃあ、行こうか。」


ふたりはサンヒョクの車に乗ると、夜の街を走り出した。

街のネオンに、もう星は見えなくなってしまったが、チェリンの胸の中には、サンヒョクの言葉が小さな星となって光り始めていた。



                               -了-


あとがき

タイトルの「Pluto」は冥王星のことです。
昨年、話題になった太陽系の惑星からの格下げ問題。

この「Pluto」という名詞が、2006年度の新語として選ばれたというニュースを知りました。
「評価を下げる」という意味の動詞として、使えるようになったそうです。

とても寂しい思いがしました。

決して良い意味の単語ではありませんから。


「評価」…。

これは、どんな世界でも行われます。

人は生まれるとすぐに、この評価の渦に巻き込まれます。

健康状態はともかく、面立ちがどうだとか、性格がどうだということを言われます。

成長するに従い、学力なども他人と比較されて評価されます。
学歴などもそうです。

大人になれば、就職先での評価。
結婚した、していないということでの世間の評価。
職種や収入、家作や車、子どもの教育…。

ありとあらゆる評価にさらされます。

「冬ソナ」でもそうです。

ミニョンとサンヒョクは、比較され、評価され、そしていろいろ言われました。
チェリンも同様です。

僕も、今まで書いてきた作品の中で、それぞれの人物を比較し、また評価を加えてきたと思います。


でも… それでいいのかと、思い始めました。


「Pluto」の話…。
冥王星自体は、何も変わっていないのに… その評価だけが変わって、そしてありがたくもない言葉として使われる…。

何か、違うような気がするんです。


サンヒョクも、チェリンも愛を失いました。
でも、だからといって、彼らの人間としての価値を全て否定的に評価できるものではありません。

僕も失恋したことはあります。
自己嫌悪… 自己否定… プライドを失い、何もする気になれませんでした。


それって、何かおかしいんじゃないか…。
そう思うようになりました。

たとえ職場で評価が低くても、その人の人間性は別の次元の話です。

就職せずに家事専念の方でも、社会に参加しているのは確かなことなのです。


あまり難しくは語れませんが、ひとつだけ…。


人は、自分自身の在り方を磨いていくことで、誰の評価を受けることがなくても輝いていける、ということ。



サンヒョクも… チェリンも…   愛すべき人としての輝きを失ってはいません。


「Pluto」も… 変わらずに、太陽の周りを回り続けていくのだと思います。
 

第15話「追試」


「追試」






あ~あ…  憂鬱…。

また今日は音楽の授業がある…。


また、あのピアノの試験だ…。

この一週間、食べる時間を減らしてまで練習してきた。

だけど、あたしにはやはり弾けやしない…。


前回の『トロイメライ』は散々だった。

点数なんて、絶対人には言えない。

今回の『白い恋人たち』だって、最初から無理だとわかってる。


どうしてみんなは、あんなふうに右手と左手が別々に動くのだろう…。

私の手は、二股なんてかけられないのだ。

いつでも同じ指でしか弾けないのよ。


ヨングクは励ましてくれたけど、やっぱり練習しても一向に上手くならなかった。

もう、あとは先生に泣きつくしかないかもしれない…。


ヨングクでさえ、結構上手に弾けるのには驚いた。

彼って、あんな人だけど、やる気になればすごいところがある。

勉強だって、全然かと思えば、生物や化学なんかはサンヒョクよりも良い点数らしい。


そんなところが、いいなぁ…。


チェリンは『男は、知性・野性・感性』なんて言ってたけど、あたしはそうは思わない。

まずはパワー。

そして優しさとユーモアよ。

その点、ヨングクには全て揃ってる。

その上、頭まで良くなったりしたら、誰も放っておかないはず。

それは困るから、今のままでいいの。


あれ… あたしったら… や~ね!



とにかく憂鬱…。

あたしは、暗い気持ちで登校した。


そしたら、ユジンが来ていた。

ずっと身体を壊してたらしいの。

やはりチュンサンの事故死がショックだったんだろうなぁ…。


でも、久しぶりに彼女の顔を見て安心した。

あたしは、いつものように声をかけた。


「おはよう! ユジン… 大丈夫?」


ユジンは小さく笑った。


「ええ…。 もう大丈夫よ…。」


横からサンヒョクも声をかけてきた。


「…本当に? 少し痩せたんじゃないか?」


「大丈夫だってば…。 ごめんね… みんなに心配かけて…。」


ユジンの笑顔が、なぜか白く見えた。




教室の後ろ…。

チュンサンの席には、今も花が置かれている。

チェリンが毎日活け換えてるという話だった。

彼女にしては、ずいぶん優しいことだと思うけど…。

あの子も、きっと…。


ユジンは、その花の置かれた席には目を向けようとはしなかった。



          *



悪夢のような時間がきた。


「これからピアノの試験をやりますから。」

ミス・キム… というより、あたしたちが『白と黒の魔女』と呼んでいる先生の声が響いた。


試験が始まった。

みんな案外と上手に弾いている。

『魔女』の機嫌も良いようだ。

もしかしたら…

あたしも少しは良い点数がもらえるかもしれない…。


「…次。 …カン・ジュンサン…。」


クラスみんなが息を止めた。


「…いないの?

 カン・ジュンサン!」

もう一度、魔女が大きな声で呼んだ。

まずい…。

あの声が出たときは、彼女の機嫌は最低なのだ…。


「…カン・ジュンサンは、もういません。」

誰かが言った。


「…いない?  …あ。

 …そうだったわね… 私としたことが…。

 ごめんなさいね。」

魔女もうろたえていた。

その反動が、次にきた。


「次。コン・ジンスク!」


げっ! あたし?

順番が違うよ~!


「時間がないのよ。早くしなさい!」


うわぁ~ だめだ!

あたしの指は、フォークのように固まっていた。




…結果。


…次週、追試…。


怒鳴られなかっただけでも良かったとするしかなかった…。

あたしは、肩を落として席に戻った。



「…次は… チョン・ユジン!」


あたしの隣の席のユジンが指された。

ユジンなら、きっとまずまず弾けるだろう。


ユジンは、黙って席を立ち、ピアノの前に座った。


「………。」


あれ…。


ユジン…  弾こうとはしない…。


いくら休んでたって言っても、彼女に弾けない曲でもないはずなのに…。



「…どうしたの? 早く!」

魔女が甲高い声をあげた。


「………。」

それでも、ユジンはうつむいたまま黙って座っている…。



気がつくと、ユジンの目から涙があふれそうになっている…。


ユジン…  あなた…



「弾けないなら、0点よ!」

魔女の怒りがはじけた。


「先生! チョン・ユジンはしばらく欠席していたんです。

 この試験も知らないで、今日から登校したんです!」

サンヒョクが席を立って、言った。


…! さすが! サンヒョク!!



「…そんなこと、理由にはならないわ。

 とにかく今日の試験は0点!

 来週、もう一度やりますからね!」

魔女はそう宣言した。


ユジンは椅子から立つと、お辞儀をしてから自分の席に戻ってきた。


その横顔…。


見ていられない…。


あたしには、なんだかわかるような気がするの…。


ユジン…  




あたしは、何か言葉をかけてあげようと思った。

だけど、なんて言ってあげればいいのか… 思いつかなかった。


ただ… 


「…ユジン…。

 …一緒に…練習しようね…。」


それだけしか…



ユジンは、あたしの顔を見た。

涙が頬を濡らしていた。


そしてこっくりとうなずいた。



その後… ユジンは顔をあげようとはしなかった。



                            -了-


あとがき

今回もボツ原稿の中からのストーリーです。
書いてから1年ほどが経ってました。

元々三人称で書いた作品でしたが、チンスクの一人称に書き直してみました。

なんだかユジンを虐めすぎた気がして、「冬の挿話」からはずしたストーリーです。
 

第16話「卒業を前に…」1


「卒業を前に…」




          1




「…えっ! ヨングクが合格したの?!」

クラスの誰もが驚いた。


まさか、あのクラス一のサボリ屋、クォン・ヨングクが大学に合格したとは…。

それも、こともあろうか医学部に合格したのだと。

みんなは、寄ると触るとその話で騒いでいた。


当のヨングク本人は、相変わらず飄々とした顔で、サンヒョクたちと馬鹿話に花を咲かせていた。



「しかし、ヨングク…。

 すごいじゃないか…。

 まさかお前が医者の道に進むなんてな…。」

鉛筆の先で耳をほじくっているヨングクに、サンヒョクは言った。

「…ん?

 まあ、まぐれみたいなもんさ。

 どうせ落ちるなら、人聞きのいいところを受験しようと思ってただけだよ。


 …あ! 痛っ!」


「おい、おい… 耳から血が出てるぜ…。

 やれやれ… こんな医者… 患者が可哀想かもな…。」

サンヒョクは笑っている。


「馬鹿言え…。

 俺は、どんな医者よりも患者を大切にするつもりだよ。

 怪我したやつも、病気のやつも、まとめて面倒をみてやるさ。

 金持ちんとこのやつでも、貧乏な家のやつでも差別なんかしないしさ。

 餌も十分美味いのを食わせてやるつもりだよ。

 …チンスク… ティッシュ持ってないか?」

もらったティッシュを耳に詰めながら、ヨングクがまくしたてた。


「…餌…って…  犬や猫じゃあるまいし…」

チェリンが呆れた顔で言った。


「…あれ? お前には言ってなかったっけ?

 …俺、獣医学科に受かったんだぜ?」


「…え? 獣医学科?

 …医者って… 人間じゃないの?」

チェリンはぽかんと口を開けたままになった。


「…ちぇっ! これだから、困っちまうな…凡人は。

 どうせ俺の心など、お前なんかにはわからないんだろうな…。

 チェリン、お前は服飾デザイン学科に行くんだろ?」


「…そうよ… それが何か?」


ヨングクはにやにや笑いながら言った。

「お前は服飾デザイン…。サンヒョクは放送学科…。

 ユジンは建築学科で、チンスクは… 

 ……。  …なんだっけ?」


「…ビジネス専門学校よ。

 …悪い?」

チンスクがふくれっ面で言った。


「別に悪くはないさ。

 でも… お前たち、みんなバラバラのように見えて、結局おんなじなんだよ…。」

ヨングクは、そう言って窓の外に顔を向けた。


「どこがおんなじなのよ。

 全然違うじゃない…。」

チンスクが言うと、

「わからないかな…。

 つまり… お前たちの目指す仕事は、どれも『クリエイティヴ』っていうやつだろう?

 何かを作ったり、生み出したりする仕事だよな?」


「…だから… 何よ。」

チンスクは首をかしげている。


「俺の目指す仕事は、だな…。

 何かを作る仕事じゃなくて… 生まれたものを、守っていく仕事だよ。

 なんでもかんでも作ればいいってもんじゃないんだ。

 それを大事に守り育てていくのも、大切な仕事なんだぜ。」


「へぇ~…。

 ヨングク… なかなかご高説を吐くわね…。

 まあ、獣医というお仕事が大切なのは私にもわかるわ。」

チェリンも感心している。


「…でも… 獣医さんって、大変なんでしょう?

 手にひっかき傷が絶えないって言うじゃない…。

 動物たちには、治療の意味なんてわからないでしょうし…

 可哀想な場面も見るんでしょ?」

ユジンが静かに言った。


「それはそうだけど… とにかく動物は可愛いさ。

 多少の傷くらい、構いはしないよ。

 暴れん坊であれ、弱虫であれ… みんないろいろ個性があるからいいんだよ。」

ヨングクが答えた。


「いろいろと言えば、獣医って… 犬や猫だけ診るんじゃないんでしょう?

 馬とか牛とか… 金魚や鳥なんかも診るって聞いたわ。」

チンスクが、渋い表情で言った。

実は、彼女は動物が苦手なのだ。

「もちろん診るさ。

 怪我や病気だったら、放っておけないだろう?」


「鳥…って… 怖い病気もあるんですって…。

 インフルエンザ…だったかな…。

 そうなったら、後は処分するだけみたいよ。」

チンスクは、身体を震わせるようにして言った。


「チンスク…。

 『処分』なんて言い方はやめろよ。

 相手は生き物なんだぜ?

 物が壊れたのとは違うんだ。

 そういうのが人間の傲慢なところなんだよ。」

ヨングクが強い口調でたしなめた。


「…! …ごめん…。」

チンスクは肩を落とした。


「まぁ、まぁ…  そんなに怒るなよ。

 まだ大学に合格しただけじゃないか…。

 先のことは、お互いわからないだろう?

 僕だって… 放送局に就職できるかどうか…。


 とりあえずは、夢への第一歩… ということで、お互いを祝おうじゃないか。」

サンヒョクが明るく言った。

「そうね。

 みんなそれぞれ道が変わるのよね…。」

チンスクは沈んだ声で言った。


なんとなく、みんな寂しい思いを感じていた。


その空気を感じたのか、ヨングクが急に大きな声で言った。


「なあ、今夜みんなでパーティーでもやらないか?

 互いの門出を祝って…

 そうだな…  


 …おっ! 焼き肉パーティーなんかどうだ?

 いいだろう? いいよな?


 ああ! 久しぶりに骨付きカルビ食いてぇ~!!」


「………。」

ヨングクの雄叫びに、みんなは黙り込んだ。


「…ヨングク…。

 あなたって… やっぱり… そのまんまね…。」

チンスクがぽつりとつぶやいた。



          *



「…それでね… ママ…。

 ヨングクったら、人一倍食べたのよ。

 あれでも獣医になるつもりなのかって、サンヒョクも笑ってたわ。

 なんだか変でしょう?

 本当に動物好きなのかしら…。

 私にも彼… よくわからない人なのよ。」

ユジンの話に、ギョンヒもクスクス笑って言った。


「きっとヨングク君にもわからないんじゃないの?

 動物も好きだし… 焼き肉も好きなのよ。

 獣医さんには、お肉が食べられない方もいるでしょうけど…。


 好きなものは、あれこれ理由をつける方が無理なのよ。

 矛盾があるのも人間だからしょうがないの。

 彼… 正直なだけなのよ。」


「そうかもね…。

 確かにヨングクは正直な人よ。

 そうか…。

 それって、大事なことかもしれないわね…。」

うなずくユジンの顔を、ギョンヒは満足そうに見ていた。


「楽しいパーティーで良かったわね。

 ユジン…。

 ごめんね… ママは、あなたの大学合格だっていうのに、お祝いも買えなくて…。」

ギョンヒが寂しそうに言った。


「…ママ… そんなものいいのよ。

 私… 大学に進学できただけで、十分幸せなんだから…。

 お金… 結構無理したんでしょう?

 ごめんね… 

 私の方が謝らなきゃいけないのに…。」


「ユジン…。

 お金の心配なんて、子どものあなたがすることじゃないのよ。

 しっかり勉強してくれれば、それでいいのよ。

 でも… あなたがソウルに行ってしまうのは寂しいわね…。」


「………。」

ユジンは、切なくなる胸を押さえた。


「あたしも寂しいな…。」

隣でふたりの話を聞いていたヒジンが言った。


「お姉ちゃん… 遠くに行っちゃうんでしょ?

 なんで行っちゃうの?」

8歳になったヒジンは、まだ幼い表情で尋ねた。


「お姉ちゃんね… 大きい学校でお勉強をしに行くのよ。」


「お勉強? お歌の? それともお絵かきの?」

ヒジンは無邪気な顔をユジンに向けている。


「違うわよ…。

 そうね… お家を作るお勉強かな…。」

ユジンは少し笑いながら答えた。


「お家? …ふ~ん…。」

ヒジンはわかったような、わからないような顔で言った。


「お休みの日には帰ってくるから、あなたもいい子でいるのよ。

 ママの言うことをちゃんと聞いてね。」


「はぁ~い…。」

どことなく寂しげな表情で、ヒジンは答えた。



                        -2につづく-

第16話「卒業を前に…」2


「卒業を前に…」




          2



明日は卒業式…。

思い出多い高校生活が終わろうとしている。


ユジンは大学生活の準備をしながらも、ひとりの部屋で高校時代の思い出をたどっていた。


卒業後は、ソウルの大学に進学する自分…。

故郷を離れ、家族とも別れ… 新しい生活が始まるのだ。

当分は、チンスクと一緒にアパートを借りて暮らすことになっていた。

それだけが、なんだか心強かった。


大学生になる自分…。

着慣れた学生服も、もう着ることはない。

少し… 大人になるのだ。


そして…


また少し… 遠ざかる、彼との時間…。


彼と出会ったあのバスにも、もう乗らなくなる…。

一緒に話した焼却場にも、もう行けないのだ…。

放送室も… あの塀も…


湖にも…


全て… 別れの時…。



ユジンはまぶたをこすった。

泣いてはいけないと… 思った。

チュンサンに笑われてしまう… そう思った。




「…お姉ちゃん…。」

静かにヒジンが部屋に入ってきた。


「…? なあに?」

ユジンは笑顔を作りながら聞いた。


「…あのね…」

ヒジンは後ろ手に持っていたものを、ユジンに差し出した。

それは、画用紙を丸めたものだった。


「…? これ… なんなの?」


「…プレゼント…。

 お姉ちゃんに…お祝いのプレゼントよ。


 あのね…

 あたしが描いたの。

 お姉ちゃんみたいには描けないけど…

 あげたかったの。」

ヒジンは照れくさそうに言った。

きっと先日の母との会話を、この子なりに考えたのだろう。


ユジンはその画用紙を拡げた。

「……!」

そこには、稚拙なタッチではあるが、にぎやかな絵が描かれていた。


どこか… 海のそばらしい…。

青い海がクレヨンで描かれている。

真ん中には、大きな屋根の白い家が描かれていた。


その屋根の下にはたくさんの人々が描かれている。

みんな笑顔で手をつないでいる…。


「…これ… ヒジンが描いたの?

 とっても上手よ…。


 これ海よね?」


「うん! 海。

 それでね… これがお家…。


 お姉ちゃんが作ったお家よ。

 お勉強して作ったお家なの。」


「あら? もう私が作ったのね。

 すてきなお家ね…。」

ユジンはくすぐったそうに笑った。


「これが、お姉ちゃん。

 これがママ。


 …あたし?

 …これ!

 可愛いでしょ?

 こんな赤いお洋服が欲しかったの。


 …でね…

 これが、サンヒョクお兄ちゃんで…

 こっちがチンスクお姉ちゃんよ。

 眼鏡でわかるでしょ?

 それでね… これはね… 」


ヒジンは次々と描かれた人物を紹介していった。

近所のおばさんや、果物屋のおじさんもいた。

自分の小学校の先生や友達の名前もあった。


「たくさんいるのね…。

 そんなにいっぱいの人が一緒に住むの?」

ユジンは笑いながら言った。


「…だって… お姉ちゃん…寂しいかと思って…。

 遠くに行ったら… 寂しいでしょ…?」

ヒジンはそう言って、口をとがらせた。


「……!

 …ヒジン…。」

ユジンは胸が詰まって何も言えなくなった。

まだ幼い妹の心遣いに、いじらしさを覚えて涙が溢れそうになった。

ただ、妹の身体を抱きしめ、その頭を撫でるだけだった。


やがて、ユジンは言った。

「ありがとうね… ヒジン…。

 とってもうれしいお祝いだわ…。

 ちゃんと持って行くからね。

 本当にありがとう…。」

ヒジンもうれしそうに笑った。

そして、その絵をもう一度指さした。


「お姉ちゃん…。

 これは、チュンサンお兄ちゃんだからね…。」


「………!」


気がつくと、ユジンの左横に明るく笑った男の子が描かれている。

その目は、どこかあの日のチュンサンに似ていた。


そんな夢のような日々は… 来るはずもない。

だけど…


もう一度…

そんな夢を描いてみたい…。


ユジンの頬を、涙がつたった。



「お姉ちゃん…。

 もう寂しくなんかないよね?」


「………。」

ユジンは、ヒジンをまた力一杯抱きしめた。

こらえきれない涙が、頬を濡らしながら、絵の上に滲んでいった。



                             -了-



あとがき

これはボツ原稿ではなく、「新作」です。
前半は、宮崎県のニュースを時事ネタに書いてみました。
知事選の「サプライズ」と「鳥インフルエンザ」の件。
ちょっとキーワードも使ってます。
冬ソナ風のセリフもちょこちょこ。

後半は、また発覚したマンションの安全性の問題を考えながら。
「冬の挿話 1」を書いた頃を思い出しながら書きました。

海のそばの家…。
ヒジンは、ヨングクよりも霊感があるのかもしれませんね。
 

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poppo

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