nokori45


「残されたチケット」



『…お客様のお呼び出しをいたします。

 11時20分発 ニューヨーク行

 BI023便にご搭乗予定のチョン・ユジン様…

 至急お近くの搭乗手続きカウンターまでお越しください…』



繰り返される空港内の放送に、私は首をかしげた。

ユジンなら、ついさっきパリ行きの飛行機に乗ったはず…。

見送りはいらないと言う彼女だったが、私は無理やり車に乗せて送ってきたのだ。

パリ行き便の搭乗手続きを終えると彼女は、

「姉さん… 勝手ばかりでごめんね…。

 後はよろしくお願いします。」

その顔は、本当に哀しく見えた。


「いいのよ… 会社のことは気にしないで…。

 そりゃぁ、あなたがいなくなれば、うちには痛手よ。

 それでも、当分は契約もいっぱいだし大丈夫。

 だから… しっかり勉強して、帰ってきてね。

 お返しはその時に…。」


「ええ…。ちゃんと勉強して…

 きっとポラリスに恩返しするから…」


「それまでは、あのスンリョンをもっと仕込まなきゃ…

 あ~あ… やだやだ…」

私の嘆息に、ようやくユジンも微笑んだ。


「じゃあ、行ってきます。もうここでいいから… 会社に遅れちゃうでしょ?」

「そうね…。それじゃぁ、行ってらっしゃい。身体に気を付けてね。」

私はユジンを抱きしめた。

その背中を撫でながらも、彼女の本当の気持ちがよくわからないまま…。

そして、彼女はひとり旅立った。



              *



私はそのまますぐには出勤する気持ちになれず、4階のカフェに入った。

遅めの朝食を摂りながら、ユジンのことを考えていた。


彼女は… サンヒョクと結婚するはずだった。

私も、ずっとそう思っていた。

サンヒョクは、多少甘えん坊のところもあるが、優しい青年だ。

仕事ぶりも真面目だし、ユジンにはよく似合ってると思っていた。

それが…  彼が現れてから…



昔から、時々ユジンが何か深く考え込むことがあるのには気づいていたが…

彼女はいつも何も話そうとはしなかった。

ただ、妹のヒジンから『初恋の人が亡くなった』という話だけを聞いていた。

きっとまだ心のどこかにその悲しみを残しているのだろうと… 私はそう考えていた。

ユジンの一途さ…  それも、サンヒョクがいつか癒してくれるだろうと思っていた。



しかし… その『初恋の人』が生きていて… あの理事だったとは…


今でも覚えている…

サンヒョクと理事…イ・ミニョン氏との間で苦しんでいるユジンを見ているのは辛かった。

始めはサンヒョクを裏切るようなユジンに、私も複雑な気持ちを持っていた。

それが次第にユジンを応援したくなっていったのは、なぜだろう…。

やはり… 運命としか言いようがないのではないか…。

イ・ミニョンではなくカン・ジュンサンに戻った理事…

その理事の家で誕生会に参加した時、私はそれを確信した。

ヨングクやチンスクが話す高校時代の逸話や、それに少しずつ答える理事の言葉に、私はこの二人がずっと離れていたにもかかわらず、強い糸で結ばれていたことを知った。

二人は深く愛し合っていて、そして結ばれるはずだった。

それなのに…  また、離ればなれになってしまうなんて…。



私は、カフェを出ると、すぐに搭乗カウンターに向かった。

もちろんユジンの姿はなかった。

カウンターの職員に声をかけた。

「チョン・ユジンは私の同僚で… さっき別の飛行機に乗ったはずですが…」


職員は不思議そうな顔で言った。

「おかしいですね…。こちらには、チョン・ユジンさん名義のチケットが届いているのですが…。

 はい? …そうです。11時20分発のニューヨーク行きの便のチケットです。

 フロアーに落ちていたそうで、もしやお困りかと思いまして…。」


私は、念のため春川の家に電話をかけてみた。

しかし、あいにく留守のようで電話はつながらなかった。

仕方なくサンヒョクにかけてみた。彼なら何か知っているかもしれない…。


「もしもし… ああ、チョンアさん? どうかしましたか?

 はい?  ええ… まだ大丈夫です。今は…」

サンヒョクは仕事前の食事中だと言った。

私は、チケットの件を早口で話したが、サンヒョクはしばらく返事をしなかった。

そして、しばらく経ってから

「それは… 僕がユジンに渡した物です。 ええ… 昨日…。

 そうですか…   ユジンは…  行かなかったんですね…」

切なそうなサンヒョクの声だった。

私は、サンヒョクの優しさに胸が詰まった。

サンヒョクはユジンを理事の元へ送ろうと思ったんだろう。


「どうしてユジンは行かなかったの?

 ねえ、サンヒョク! あなたならわかるでしょ?」

私の問いにサンヒョクは静かに答えた。


「いえ… 僕にもわかりません…

 僕には… 


 でも…  ユジンが決めたことですから…

 それを応援するしかありません…」

私は、電話を切った。

そして、空港を後にした。


哀しくて…  

切なくて…  

悔しくて…   

寂しくて…



冬が終わろうとしているのに…


ソウルの街には、春の風はまだ吹いていないようだった。


             -了-