nokori43


「海」





今思い返しても、なぜそんな行動をとったのかわからない…。


「チョン・ユジン…。 借りを返してくれるか?」


僕は、ユジンを学校から連れ出した。

それも、わざわざあのサンヒョクに見せつけるようにして…。

なんて嫌な男だったんだろう…。


サンヒョクに対していつも敵意を持っていた高校生の僕…

それがなぜなのか… 僕は、いまだに不思議に思っている。


ユジンのことで嫉妬していたのか…

それは違うような気がする。

たとえユジンがいなくても…

僕は、サンヒョクを嫌っていた。

そう思えるのは… なぜなんだろう…。




ユジンと二人でバスに乗った。

行き先は決めていなかった。

ただ… 何かから逃げ出したくなっていた。


「どこへ行くの?」


ユジンの問いに、僕は


「…遠いところ…」


そう答えた。


ユジンは噴き出した。


「遠いところって… 海の果てにでも行こうっていうの?」


「そうだな…。 船に乗って… ずぅっと…遠くまで…」

僕は、できるものなら本当にそうしたいと思い始めていた。


ユジンは呆れたように

「この町に海なんてないわよ。

 あなた、知ってる?」

その彼女の顔を見ているうちに、ふいに行き先を思いついた。

「ユジン。船に乗りに行こうか?」


「え? うそ…」

疑うような表情のユジンに、僕は言った。

「このバス…  船着き場を通るみたいだよ。」

「……!」

ユジンは目を丸くした。



           *



バスの中では、いつもの最後部席に座った。

ユジンが窓を開けた。

風が彼女の長い髪を吹き過ぎてゆく…

その髪の香りが僕の鼻先をくすぐった。


初めて… 感じる… 甘酸っぱい気持ち…


『初恋』…  僕はそれを意識して、ひそかに赤くなった。


ユジンは、破れたシートに湿布を貼った。

それは、まるで何かを捨て去るように僕には見えた。

僕は、同じように頬の絆創膏を剥がして貼った。

僕たちは… 同じ仲間… そんな気持ちだった。



二人でバスを降りた。

そこは南怡島への入り口。

「船って… この湖を渡るのね…。

 海に行くのかと思って、ドキドキしたわ。」

南怡島への桟橋を歩きながら、ユジンがつぶやいた。


「…海に… 行きたかったのか…?」

僕が尋ねると、ユジンは首を振った。


「ううん。 海は… 遠すぎるでしょう?

 そんな遠くに行ったら…  きっと帰りたくなるわよ…」


「海に行ったこと、あるのかい?」


「ええ。小さい頃に一度だけ…。

 パパやママと一緒にね…。

 あ、その時にね…  …  …」


僕にはない… 楽しそうな父親との思い出を、ユジンは話してくれた。

なぜか、うらやましいとは思わなかった。

むしろ、思い出を話す彼女が、哀しく見えた。

亡くなったお父さんは、どんな人だったのだろう…。




南怡島に渡った僕たちは、時間を忘れて歩きまわった。

途中、二人で自転車にも乗った。

美しい夕日も一緒に眺めた。

彼女と話しながら、僕の心は次第に温かくなっていった。

日暮れになり、あわてて僕たちは帰りの船に跳び乗った。




町に帰るバスの中で、僕はユジンに言った。


「…いつか…  海にも行こうか…」

(君と…一緒に…)


ユジンは少し居眠りをしていたのか

「…ん? どこに?」

あくびをこらえている顔が…

かわいいと思った。


「…うん… きっと連れていくよ…」





           *
 

 

それから10年が経っていた。

僕たちは、遠く離れ… そして、また出会った。

運命と言うには長すぎた時間…。

僕たちは、ずっと… 見えない糸で結ばれていたのだろう。



ユジンはあの日のことを忘れずにいた。


僕も… ようやく思い出せるようになっていた。

事故の後、時折浮かんでくる記憶の数々…



記憶には…  覚えておきたいことと…  忘れたいことがある…


僕は、それをまざまざと感じている。



あの日の湖でのことだけでなく、初雪の日のことも僕は思い出していた。

約束通り… 湖にやってきた彼女…

誰もいない湖で、僕たちは子犬のようにじゃれあった。

雪だるまを二つ作ったことも思い出した。


そして…   初めてのKISS…


ユジンには、それを思い出したとは言えなかった。


それは…   今となっては許されない過ち…



僕は、父の名を知ってしまった。

まさか… ユジンと… 同じ…


僕たちは絶対に一緒になれない…

母さんはユジンに話すと言う。

二人が別れないのなら、そうすると僕を責めた。


僕は、それに従うしかなかった。

ユジンを… これ以上苦しめるわけにはいかない…。

全てを諦めるしかなかった。



僕は、夜更けにユジンを呼び出した。

アパートの前で、僕は久しぶりに愛しい人の顔を見た。

その瞳はすでに涙で濡れていた。


「どんなに心配したと思ってるの!」


真っ赤に泣きはらしたその顔…

僕の胸は張り裂けそうになった。

けれど、僕は泣くわけにはいかない…


精一杯の言い訳をして、僕は彼女の涙を指でぬぐった。


どうして… この人に真実を話せるだろう…

そんなことは… できることではない…


僕の胸に身体を寄せてきたユジン…


誰よりも…  誰よりも…

愛しい人…


10年前のあの日から… ずっと…


僕は、この人を愛してきたのだ…




けれど… 僕は、決めなければいけない…



歯をくいしばって僕は彼女の身体を離した。

そして、言った。


「今から…  海を見に行かないか…?」


それは、あの日の約束…

ひそかに誓った夢…

居眠りしていた彼女は聞いていなかったかもしれない。

そうだとしても、僕はその約束をかなえたい…

これが最後になるのなら…


彼女はじっと僕の目を見て、何も言わなかった。




           *




深夜のハイウェイを走りながら、僕はユジンの横顔を見た。

彼女は黙ったまま窓の外を見ている。

時々流れるライトに映るその横顔は、美しかった。


「眠ってもいいんだよ…」

僕が言うと、彼女はようやく笑って答えた。


「…大丈夫。

 …あなたと一緒に… 夜明けを見たいの…」


「………。」


僕は、アクセルを踏み込んだ。

その願いをかなえるために。



夜明け前に三陟の海岸に着いた。

空はまだ暗く、風は冷たい。

車を降りて、僕たちは波打ち際に立った。

やがてゆっくりと水平線が白んできた。


「…海には初めてきたね…」

僕がつぶやくと

「…今まで、来たことがなかったの?」

そうたずねる彼女の顔が、たまらなく愛しい…。

「いや… 君と…一緒に来たのは初めてだってこと…。

 だから… 僕たちにはこれが『最初の海』だ。」


ユジンはうれしそうに言った。

「そうね…。私たちの…『最初の海』…」



(…そして… 『最後の海』…)


僕は彼女の横顔を見つめながら、ここで別れることを決めた。


ユジンは朝焼けの光を眺めている。

何も疑わずに、夜が明けるのを信じているのだろう。

苦しくて、僕は背中を向けた。

北の空にはもうポラリスはない。

浜辺に残った僕たちの足跡は、波に洗われて、消えていった。



           -了-




あとがき

これは元々『冬の挿話 74 -残照-』と同じ原稿から書き出したもの。
テーマを「最初の海」に変えたので全く別の作品になってしまいました。
チュンサンはなぜ「海」を別れの地に選んだのか…。 
ドラマ本編では語られていません。
不可能の家での再会への布石でもなさそうです。
ですから、ちょっとだけ意味づけをしてみた作品です。

雪の中とは違い、暖かな光の中での二人の別れ…。
『冬のソナタ 第18話』は哀しい回ですね。
明るい映像なのに、本当に幸せそうなのに、哀し過ぎて胸が痛みます。