連作『バラ園にて』 第26話

     ~ 父 ~


花嫁のお色直しを待つひととき。

人々は思い思いの輪の中で笑いさざめいている。

その風景を眺めながら、チヌはひとり椅子に座ったまま感慨にふけっていた。


あの日以来、寂しげな陰を落としていた妻のチヨンも、今日は以前のような笑顔を取り戻している。

サンヒョクの結婚を、本人たち以上に喜んでいるようだった。


何かが終わり… そして、もう自分には思い残すこともない…

そんな思いであった。


チヌは、懐から一葉の写真を取りだした。

古く色あせた写真…。


ヒョンスやミヒと一緒に並ぶ若き日の自分の姿…。

時は、去ってしまった…。



「キムさん? お電話が入ってます。」

急に呼ばれたチヌは振り返った。

従業員らしい青年が受話器を手にしている。


「…私に?  …誰からかな?」

チヌは会場の隅のテーブルに移り、手渡された受話器を耳にした。


「はい。キム・ジヌですが…」



『チヌさん? 私です。

 ギョンヒです。』

春川のギョンヒの声だった。

彼女は体調が悪く、今日の式には出席できなかったのだ。


「ああ、奥さんですか。

 お身体の方はいかがですか?

 大丈夫でしょうか?」

チヌが言った。


『ええ… まだ少し…。

 いえ、ご心配なく… もういい歳ですから…。

 それよりも今日は本当におめでとうございます。

 よかったですね。

 私も自分のことのようにうれしくてならないんです。


 直接お伺いできなくて、本当に申し訳ありません。』



「いえいえ… 

 先ほど、いただいたお手紙が披露されましたよ。

 ありがとうございます。

 サンヒョクに代わってお礼を言わせていただきます。」

チヌもはずんだ声で答えた。


『ああ… サンヒョクにもよろしくお伝えくださいね。

 素敵な花嫁さんでよかったと…。


 奥様もお喜びでしょう?』



「ええ。もうすっかり…。

 チェリンなら、あれともうまく話が合うようですよ。


 あ… いえ…

 ユジンはどうだったと言ってるのではありません。」

チヌは狼狽しながら言った。


『そんなことは気になさらずに…。

 ユジンとのことは、ああいう運命だったのでしょう…。


 あの子も今では幸せそうですし…

 きっと今日の式も、心から喜んでいるはずですよ。』

ギョンヒの明るい声が聞こえた。


「そう言っていただけると、私も安心です。

 とにかく…

 あの子たちには辛い思いをさせてばかりきましたから…」

チヌの言葉に、

『いいえ。

 あなた…  ご自分が一番辛い思いをなさってきたでしょう?


 わかっておりますから…。


 もう、昔のことは忘れられて、これからの幸せを楽しんでください。』



「これからの幸せ…。

 そんなものが私に与えられるのでしょうか…。」

チヌの声が小さくなった。


『ええ。

 これからは子どもたち夫婦に囲まれて、幸せになりますよ。

 立派なお父様として。』

ギョンヒの声が優しく響いた。


「…私が?

 ………。


 こんな私が…。


 父親と呼ばれる資格もない私が…?」



『何をおっしゃいます、チヌさん…。


 あなたは立派なお父様ですよ。


 あの人が聞いたら… きっとうらやましがるでしょう…。』

ギョンヒがつぶやくように言った。


「…ヒョンスが…ですか…?


 …どうでしょう…

 あいつが生きていたら… 私は、どんなに叱られるか…。」

チヌは、ポケットの中の写真から手を離した。


『いいえ、チヌさん…。

 あの人は…

 ヒョンスは、本当にあなたをうらやましがっていましたよ。


 亡くなる前にはいつもそればかり…。


 自分は、父親としての責任を果たせずに死ぬんだな…と…。


 あなたは、ちゃんとサンヒョクを育て…

 こうして今日の日を迎えたじゃないですか。

 ヒョンスは…


 いえ、あの人も喜んでいるでしょう…。』

ギョンヒの言葉に、チヌの胸の中はいっぱいになった。


「奥さん…。

 …ありがとうございます…。」

チヌはようやくそれだけを言った。


ギョンヒにも、チヌの思いが伝わったようだ。

『とにかく、ご苦労様でした。

 この後は、サンヒョクたちに生まれる孫の顔を楽しみにされたらどうです。


 …え?  ああ… ユジンですか?

 ええ、もちろん私もそれを楽しみにしています。

 いえ、実は私よりヒジンの方が楽しみにしているみたいです。

 あの子も、弟や妹が生まれるような気分なんでしょう。


 不思議なものですね…


 こうしてどんどん子どもたちが増えていくのが楽しみで…

 幸せなことだと思いません?』


チヌは受話器を手にしたままうなずいた。


『もちろん、ユジンの子どもはチヌさんにとっても孫なのですから、楽しみにしてくださいますよね。

 ぜひ、かわいがってください。』


「…………。」


『チヌさん…。


 ヒョンスの代わりに…

 これからも、ユジンの父親としてあの子たちを支えてあげてくださいね。

 よろしくお願いいたします。』

そう言った後、受話器の向こうからは激しい咳が聞こえてきた。


「奥さん、大丈夫ですか?

 もしもし?」


『……大丈夫…です。

 ごめんなさい。お願いばかりして…。


 お祝いをしなければならないのに、これじゃ申し訳ないですね。

 すいません…。』

かすれた声でギョンヒが言った。


「いえ、奥さん… ありがとうございます。


 私みたいなものに、もう何もできることはありませんが…

 あの子たちの幸せを祈って見守ることぐらいはしていきましょう。


 ユジンも… そうですか…  私の娘…というわけですか…。


 あの子たちが、私を父親だと思ってくれるとは思えませんが、私も彼らの幸せを願っています。


 はい…


 ええ…


 わかりました。



 わざわざありがとうございました。


 ユジンには?

 そうですか。

 ええ、伝えておきましょう。


 では…  奥様もお大事に…

 失礼します。」


ギョンヒからの電話は切れた。



チヌは受話器をテーブルに置くと、ポケットからまたあの写真を出した。


(…ヒョンス…)


亡き親友は、今の自分をどう見ているだろう…。


チヌは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

(……!)

手から落ちた写真を拾おうとしたチヌの身体が、何かにつまずいたのか、よろめいた。


「お父様!」


危うく支えてくれたのは、チェリンだった。

「大丈夫ですか、お父様?」

その美しい顔が、心配そうにチヌを見つめている。

「お疲れになったのでしょうか… お父様…。」


サンヒョクも近づいてきた。

「父さん、大丈夫かい?」


「ああ… 大丈夫だ。

 ちょっとつまずいただけだよ。」


ユジンもそばに寄ってきた。

「お父様… 大丈夫ですか?

 何か持ってきましょうか?」


「ユジン… お父さんにお怪我は?

 ああ… よかった…。」

チュンサンの声が、後ろから聞こえた。



(… … …!)



チヌの目から、涙があふれ始めた。


それは抑えようもなく頬を濡らしていった。





その手に握った写真のヒョンスが、いつしか笑顔を向けているのを、チヌは涙の中で見た。



                          -了-


     




あとがき


これも連作『バラ園にて』のために書きました。

第7話の時と同じく披露パーティーの合間の場面。
電話での会話を描写するのは難しいですね…。

連作『バラ園にて』第1話はこちらから。


 コメント一覧 (13)

    • 1. 子 狸
    • 2007年12月09日 00:09
    • ありがとうございます。
      ほんとうにpoppoさんらしいストーリー…読んでいるうちに胸が熱くなって、
      コメの言葉が見つかりません。
      ただ、「みんな家族になったんだ」…それを実感しました。
      チェリンとサンヒョク、ユジンとチュンサン、チヌとチヨン、会場にはいないけれどギョンヒと亡きヒョンス…もちろんヒジンもこれから生まれてくるユジンやチェリンの赤ちゃんたちも…。
    • 2. poppo
    • 2007年12月09日 00:36
    • さっそくのコメ、ありがとうございます。
      書く、書くと言いながら、ずいぶんお待たせしてしまいました。
      主役達の挨拶もまだ控えているわけですよね。
      どなたが書かれるのかはわかりませんが、楽しみにしています。
    • 3. 〆
    • 2007年12月09日 07:28
    • さすがPoppoさまだと、ただ感動しております。
      私もうまく言葉が見つかりません。
      けれどもじんわりと心に染み入るお話をありがとうございました。
      ただただ感謝です。
    • 4. さち
    • 2007年12月09日 09:11
    • さちです
      最近は登録にうるさくて読み逃げしていたのですが...
      (名前がわかるのいややったの...)
      ものすごく良かった
      涙が出ました
      お体をいたわってぼちぼち書いて私たちを楽しませてください
    • 5. あとむまま
    • 2007年12月09日 11:02
    • 最近涙腺がすっかり弱くなってしまった私。
      でもこの涙は、自分の心が穏やかになるような気がする涙です。
      チュンサンとユジンが結ばれるだけではなく、チヌがこんな気持ちになって、初めて「冬ソナ」は完結するのだとわかりました。
      ありがとうございました。
    • 6. 子 狸
    • 2007年12月09日 11:07
    • 主役達の挨拶…ですか?
      そうですよね、絶対必要なのですけれど…。
      どなたかが書いてくださらないかな?
      他力本願は無理なのかしら?
      まだまだ完結には時間がかかりそうです。。。
    • 7. poppo
    • 2007年12月09日 12:09
    • みなさん、ありがとうございます。
      ヒョンスやギョンヒ、ヒジンなどのことも久しぶりに書けて楽しかったです。
      チヌをメインに描いてはいますが、実はギョンヒのことも重ねているつもりです。
      チヌ以上に苦労をしてきた彼女の口から出る『ご苦労様』。
      その「女手ひとつ」の苦労を強調するために「咳」を加えました。
      加えたといえば… 写真のヒョンス。
      少し笑って見えませんか?
      ちょっと細工してみました。(^_^; )
    • 8. **seiko**
    • 2007年12月09日 17:02
    • Poppoさん 読ませていただきました。
      これでチヌの傷も少しは癒えたのではないでしょうか。。
      それぞれみんなが傷ついたはず・・・。
      でも チュンサン ユジン サンヒョク チェリン・・・。みんなが幸せになれば
      チヌの傷も癒されていくことでしょう。
      うまく表現できませんが。。
      Poppoさん ありがとうございます。
    • 9. tomato2709
    • 2007年12月09日 22:05
    • Poppoさん、こんばんは。
      さすが、Poppoさん…としか言いようがありません。
      私も、上手く表現できないのですけど、読んでいて、心がじわ~っと温かくなりました。
      ありがとうございました。
      言葉足らずのコメで、ごめんなさい。
    • 10. poppo
    • 2007年12月09日 23:11
    • 今回は、極力余計なことを書かないように…と気をつけました。
      連作ですから、ちょっとした描写が他の方々との矛盾を生じるからです。
      ラストのチヌの心の中も、あえて書きませんでした。
      書かなくてもよいこと…。
      言わなくてもわかること…。
      それが『冬ソナイズム』なのだろうと思います。
    • 11. 阿波の局
    • 2007年12月10日 19:08
    • poppoさん、こんばんは。お久しぶりです。
      また冬が来て、poppoさんのお話が心に染み入ります。
      青春の日の出来事が今なおジヌを責めるのですね。
      サンヒョクもジュンサンも幸せになって、ジヌにも心の安寧が訪れますように。
    • 12. **seiko**
    • 2007年12月10日 19:36
    • 「冬ソナイズム」。。そうですね。。
      書かなくてもよいこと 言わなくてもわかること…。
      みなさん あえて書かなくとも わかって下さいますよね。。
    • 13. poppo
    • 2007年12月11日 00:08
    • みなさんのコメントひとつひとつが、僕の心にもジワ~っとしみこんでまいります。
      本当にありがとうございます。
      じんわりくる作品をひとつでも多く書きたいと思っています。

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