「Pluto ~あれから1年後~」
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(…もう… 今日だけで、何回目かな…)
サンヒョクは、放送局のスタジオで大きく伸びをした後、ため息をついた。
オンエアされている曲は、この時期らしく『ジングル・ベル』だった。
もうすぐクリスマス…。
ソウルの街も、華やいだ雰囲気に包まれている。
スタジオの中にも、女性スタッフが飾ったのだろう… 可愛いサンタの置物が置かれていた。
トナカイのぬいぐるみもあった。
先週は日本への出張で、しばらくぶりのスタジオだった。
7時までの番組が終われば、今日の勤務も終わる…。
「よう! キムPD!
ひさしぶりだな!」
ドアを開けて入ってきたのは、DJのユ・ヨル先輩だった。
「どうだった?日本は?
取材はうまくいったのかい?」
ユ先輩は、明るい笑顔で言った。
「ええ、まずまずですよ。
来週には、編集も終えて放送できますよ。」
韓国のアーチストの日本公演にあたっての、インタビューの仕事だったのだ。
「そりゃあ楽しみだ。
日本との交流も、近頃はいいようだな。
やはりワールドカップの影響かな?」
サッカー好きのユ先輩も、興味があるらしい。
「そうかもしれませんね。
やはり共同開催の意義は大きいでしょうね。
日本でもかなり盛り上がってましたよ。」
「そりゃあうれしいな…。
今までの両国の垣根が取り除ければ… お互いにとって幸せなことだろうよ。
…ん? それ、日本のCDだな?」
ユ先輩は、サンヒョクの手にあるCDに目をとめて言った。
「…ええ… そうです。
僕… この曲が好きなんです。」
CDには、『クリスマス・イヴ』とタイトルが書かれている。
日本ではこの時期の定番曲である。
「…キムPD… まさか、それを放送しようと言うんじゃないだろうな?」
先輩が、少し心配そうな顔で聞いた。
「いえ、さすがにそこまでは…。
無理だってことは、僕だって知ってますよ。」
公共の電波では、まだ日本の歌謡曲を流すことはタブーなのである。
「…そうか…。 それならいいが…。
それを流したら、始末書だけじゃすまないからな…。
残念だが… まだ、そのあたりは難しいらしいよ。」
ユ先輩も、表情を曇らせている。
「サッカーだけでなく、いろんな文化交流が進むといいんですがね…。
いつかは、そうなる日もくるんでしょうが…。」
「ああ、そうだな。
時間が…解決してくれるだろう…。
人と人とが、そんなにいがみ合っていたって、未来にとっては何の得にもならないのだから…。」
「そうですね…。
時間…。
時間が、一番の薬なのかもしれませんね…。」
サンヒョクはつぶやいた。
(…時間…。 いったい…どのくらいの時間が経てば… 僕は、諦められるのだろうか…)
サンヒョクの寂しげな表情を見つめていたユ先輩が、言った。
「ところで、そこにある箱はなんだい?」
壁際に大きな段ボール箱があった。
見たところ、放送関係の機材ではないようである。
「ああ、これですか?
これ… お土産ですよ。
ええ、先輩への。
…ああ、中身ですか?
ちょっと待って下さい… 今、開けますから…。」
サンヒョクが、箱のひとつを開けて、中から取りだしたのは…
『日○ ど○兵衛』
日本のカップ麺だった。
「…! なんだ、カップ麺か。」
ユ先輩は、サンヒョクから手渡された品を見ながら言った。
「結構美味しかったですよ。
日本のカップ麺はさすがですね。
ワールドカップで日本を食ってやろうと思って…
しこたま買い込んできました。
深夜の放送の時に食べて下さいね。」
サンヒョクが笑いながら言った。
「こんなにひとりじゃ食えないよ。
お前も一緒に食えよな。
…しかし… たくさん買ったものだな…。
ひい、ふう、みい…
おいおい… 200個くらいあるんじゃないか?」
「はい、いろんな味も揃ってますから。
当分夜食には困りませんよ。」
「ちぇっ! 独り者だと思って…。
どうせ、俺は弁当など作ってもらったことなどない男だよ!」
先輩は、そう言って笑った。
サンヒョクも寂しい笑顔を見せた。
「先輩… そんな…。
僕だって… 独り者ですよ…。」
「………。」
先輩は、黙って視線を落とした。
サンヒョクの左の薬指に、まだリングが残っているのを知っている…。
先輩が、ため息混じりに言った。
「田舎のお袋がなんて言うかな…。
『カップ麺ばかり食べて… 身体を大事にしない親不孝者め!』
…なんて、小言を言うだろうな…。
今年も… 帰れそうにないけど…。」
先輩の顔に、優しい影が宿っている…。
「…カップ麺ばかり…。
…僕も… よく言われたものですよ…。
今年は… 帰ってこないらしいけど…。」
サンヒョクは、ユジンの笑顔を思い浮かべながら言った。
「結局、僕たちは当分『独り者』ってことですかね…。
このカップ麺を全部食べ終わっても…。」
「寂しいことを言うなよ、キムPD。
お前みたいないい男が… いつまでも独り者でいるわけないさ。
きっと、また素敵な女性が声をかけてくるはずだよ。
それまでは、身体を大事にしろよ。
酒も、ほどほどにな…。」
先輩の言葉に、サンヒョクはうつむいた。
ありがたい言葉ではあったが、なお一層切なくなる言葉だった。
「…おや?
おい、キムPD!
…さっそくお声がかかったようだぜ…。」
「……?」
先輩が指を差した窓を見ると、そこにチェリンの顔があった。
こちらを見て、にこにこしている。
「…チェリン…。 何か用か?」
サンヒョクは、ユ先輩の目を気にしながら言った。
「…? 何よ、その挨拶。
それが長い付き合いの友人に対する挨拶?
別に用があったわけじゃないけど、たまには一緒に食事でもしてあげようと思ってきたのよ。
迷惑なら、帰るわよ。」
チェリンがまくしたてた。
ユ先輩が、言った。
「チェリンさん、勘弁してやってくださいよ。
今、ちょうど彼と話してたところなんです。
もうすぐ美人が現れるはずだって…。
それで、彼… ちょっと照れてるだけなんですよ。」
「…! あら? そうでしたの?
そんなことなら…。
…サンヒョク!
どうするの?
行くの? 行かないの?
あたしだって、暇じゃないのよ。」
ユ先輩には、とびきりの笑顔を見せたチェリンが、口をとがらせて言った。
「…わかったよ。
もう仕事は終わったから… 行くよ。
用意をするから、下のロビーで待っててくれるか?
ああ、すぐ行くから…。
じゃあ…。」
サンヒョクは、そう言ってチェリンを見送った。
「キムPD… いい人じゃないか…。
きっとお前の寂しさをわかってくれてるんだろうよ。」
ユ先輩は、そう言って肩をたたいた。
「どうですかね…。
あの調子ですから…。
じゃあ、すいませんが、後はよろしくお願いいたします。」
「ああ、わかってるよ。
せっかくのカップ麺をいただくよ。
お前は、あの美人と美味しい物でも食べてくるんだな。」
「からかわないでくださいよ、先輩…。
じゃあ、失礼します。」
スタジオを出ると、サンヒョクは下へ降りる階段に向かった。
(………。)
しかし急に携帯を取り出すと、どこかに電話をかけた。
「……では、よろしくお願いします。」
そう言って、電話を切ったサンヒョクはロビーに降りた。
チェリンの後ろ姿が目に入った。
「ごめん、チェリン。
お待たせ…。」
「…待ったわよ。
用意…って何よ。
…見たところ、相変わらずのファッションセンスね…。
…どうにかならないものかしら…。」
「…相変わらずは、君の方さ。
…まあいい。
さあ、行こうか。」
「…ん?
行くって… 場所もまだ決めてないわよ?」
チェリンが言った。
「…僕にまかせろよ…。
じゃあ、僕の車で…。」
「………。」
いつの間にか、リード権がサンヒョクに移っていた。
チェリンは、一瞬ぽかんとした後、小さく笑みを浮かべてサンヒョクのあとを追った。
冷え込んだ空には、星がいくつか美しく瞬いていた。
-冬の残り火 14 ②につづく-
あとがき
チュンサンがNYに帰り、ユジンがフランスに旅立ってから約1年後の冬…。
その設定です。
その設定です。