「登校のバス」






朝の冷気が通りを流れていく。

道路脇の排水溝からは、大きな湯気が上がっている。

その湯気も、朝日の中で輝きながら消えていく。


(…ユジン…  今日もいないな…)


サンヒョクは、かじかむ手をこすりながら、ため息をついた。

吐く息は、白く憂鬱だった。


この頃は、バス停で一緒になることがなかった。

学級委員の仕事があるので、早めのバスに乗ることが多かったが、以前はユジンも同じ時刻のバスだった。


(…ヒジンのお弁当に、手間取っているのかな…)


『遅刻魔』とパク先生に渾名されるほど、ユジンは遅刻が多い。

しかし、それが家の都合だということを、サンヒョクは知っている。

早く仕事に出かける母に代わって、ユジンがヒジンに朝食を作ったり、弁当を用意したりしているのだ。


(本当は… 僕なんかより、ずっと早起きなのに…)


そんな苦労を全く見せないで、明るく笑うユジンの顔を思いながら、サンヒョクはバスに乗り込んだ。


(…ユジン… 遅れるなよ…)


動き出したバスの窓から、サンヒョクはバス停の方を見た。

ユジンが駆ける姿は、見えなかった。




          *



(…間に合った!!)


坂道を走ってきたユジンは、白い息を吐きながら、バスに乗り込む列に着いた。

やはりこの時間帯では、すし詰め状態である。

ユジンは鞄を胸に抱くと、必死にステップの上に足を差し入れて、手すりを握った。

バスの後方の席に目を向けたが、人混みで見ることはできなかった。

片足だけでステップに立っている姿勢は苦しかった。



やがて、乗客が減り始めた。

通勤の人々は工場街で一斉に降りていたし、他校の生徒たちもその高校前で降りていった。

ユジンは、バスの後方に移動した。


…彼は、いた。


いつものように、後部座席に座っていた。

角の席には鞄を置いてある。

自分のために…取っておいてくれたのだと思った。


「…おはよう。」

ユジンはチュンサンに声をかけた。


「…おはよう。」

チュンサンも笑って、鞄を除けた。


ユジンは、その席に座った。


「…ああ、疲れた…。

 …本当に、なんでこのバスはいつも混むんだろう…。」

ユジンは、首筋を揉みながら言った。


「きっと… 『遅刻魔』ばかりが乗るからだよ。

 あまり太るなよ…。

 みんなの迷惑になっちゃうから…。」

チュンサンが小声でささやいた。


「…! 失礼ね!」

ユジンが睨むと、チュンサンはクスクス笑った。


「今日も、遅刻かな…。」


「…大丈夫そうよ。

 まだ20分あるわ。」

ユジンが時計を見ながら言った。


「20分あれば…

 寝ちゃうだろう?」

チュンサンの毒舌は止もうとしない。


「また、それを言う!

 今日は、もう寝ないわよ。

 大丈夫よ。」

ユジンは、あくびをかみ殺しながら答えた。


「…そうか…。

 …じゃあ… 世界史の時間かな…。

 …この間みたいに…。」


「…あ。 見てたの?

 …嫌な人…。」

ユジンは、そう言った後、窓を小さく開けた。

朝の風はまだ冷たかったが、ここで眠るわけにはいかなかった。


「……。」

チュンサンは、風の合間に薫るユジンの髪の香りを感じていた。

胸の中に、ときめくものを覚えながら…。


「…お昼は、持ってきた?」

ユジンが言った。


「…ん?

 …パンでも買うよ…。」

チュンサンが答えた。



「…パンばかりじゃ身体を壊すわよ。

 …今日は、私たちが放送当番でしょ?


 …余分に作ってきたから…

 …一緒に食べましょう!」


「………。

 君が… 作ったの?」


チュンサンは、目を丸くしている。


「もちろんよ。

 これでも料理は得意なのよ!」

ユジンは少し胸を張って言った。


「…余分に…って…

 …本当は、全部自分が食べるものだったんだろう?」


「…違うわよ。

 そんなに食べきれるわけないじゃない。

 おむすびだって5個もあるんだから…。


 私は2個… あなたは… 3個でいいよね?」



「………。

 君が3個食べたら…


 このバスが、なおさら窮屈になるって…

 さっき言ったろう?


 この席にも座れなくなるぜ。」



「まだ、言うのね!

 …じゃあ、キムチも追加しちゃうわよ。

 めちゃくちゃ辛いんだから!

 その失礼な口に、放り込んであげるからね!」


「…ああ、いただくよ。

 ごちそうさま…。」

そう言って笑ったチュンサンにつられて、ユジンも笑った。


「…さあ… 次、降りるんだよ。

 …う~ん… 走ればなんとか間に合いそうだね。」

チュンサンが時計を見て言った。


「…間に合わなかったら… またお願いね。」


「…ん? ……。

 …あの作戦かい?

 …けっこう重いんだよな… 君…。


 …痛っ!」


思い切りひじ鉄をもらって、顔をしかめたチュンサンを後に、ユジンは席を立った。


「ほら! 降りるわよ!」


「……!」


ふたりは、あの日のように、一緒に校門に向かって駆け出した。


(……!)

チュンサンは、角のパン屋を横目で見ながら、駆け抜けた。

となりを走るユジンの横顔が、朝日を受けてまぶしかった。


                               -了-



あとがき

とりとめもないストーリーです。
「冬の挿話」に入れようか迷って、結局ボツにした作品です。
お弁当の話は、連作『お昼の校内放送』でも書かれた方がいましたから。

まぁ、落書きにもならない『メモ』としてアップしておきます。