「夢 ~冬と春~」





冬が終わろうとしている。

春川の町にも、春のやわらかな陽射しがこぼれ、木々の枝を暖めていた。
溶けた雪が、水たまりを作りながら、坂道を流れていく。

ユジンは、その流れに逆らうように、丘の上に向かって上っていった。


「お姉ちゃん…。

 本当に行っちゃうの…?」

隣を歩くヒジンが聞いた。

姉が、フランスに留学すると聞いて、ヒジンも心細く感じていた。

「ええ…。

 もう、決めたの。

 …ん? 何か心配?」

ユジンは小さく微笑みながら言った。


「…だって… 私、ソウルに行ったらお姉ちゃんと暮らせると思ってたのに…。

 お姉ちゃん… またひとりで行っちゃうんだもの…。」

そう言って、ヒジンは寂しそうにうつむいた。


この春から、ソウルの大学に進学することになっている妹だった。

初めてのソウル暮らしに、自分を頼りにしていたのだろう。


「…ごめんね。

 …でも、もうあなたなら大丈夫よ。

 一人で食事の用意もできるでしょう?


 大学で… しっかりと将来の夢を見つけてね。」

ユジンの言葉に、ヒジンは遠くの空を見つめた。


「…夢か…。

 …私の夢は… ちょっと難しいかな…。」


「…ん? …どんな夢?」


「…どんな夢って…  恥ずかしいわ…。」

ヒジンはクスクス笑っている。


「教えてよ。

 ヒジンの夢って、なあに?」


「…あのね…

 …あ… ママには内緒よ。


 …私ね…  女優になりたいの…。」

ヒジンはくすぐったそうに言った。


「…女優? …映画とかドラマの?

 …そうなんだ…

 …あなた、女優になりたいの…。」


「…あ! お姉ちゃん! 笑ったでしょ?

 だから、難しいって言ったの!」


「笑ってないわよ。

 …人の夢を笑ったりなんかしないわ。


 …じゃあ、その夢に向かって頑張るのね。

 …演技の勉強などもするの?」


「うん。

 ソウルに行ったら、どこかの劇団に入ろうかと思って…。

 でも… 大学と両方じゃ… お金が心配…。」

ヒジンは、またうつむいて道の小石を蹴った。


「…大丈夫よ。

 お金がなくても… 劇団に入れなくても…

 大学に行かなくても…

 …夢に近づく道はいくつもあるはずよ。」

ユジンは、空を見上げて言った。


「そうかな…。 本当にそうならいいんだけど…。

 …お姉ちゃん…

 お姉ちゃんの夢はなあに?」


「…え? …私の夢?」

ユジンは答えに詰まった。


「だって、これからフランスに留学するんでしょ?

 その夢のために行くんじゃないの?

 3年もフランスに行くなんて…

 ずいぶんお金もかかるんでしょ?」


「…お金のことばかり心配してるのね。

 あなた、結構しっかりしてるわ。」


「お姉ちゃんが、楽天家なのよ。

 なんだかうらやましいわ。」

ヒジンの不満そうな顔に、ユジンは笑った。


「こんな楽天家の姉と暮らさなくてよかったでしょ?」


「それとこれとは別よ。

 お姉ちゃんがいないと… 寂しいわ…。」

ヒジンの目が潤んでいる。

「………。」

ユジンも、溢れそうな目で妹を見た。


「あなたは、あなたの思った道を歩けばいいのよ。

 ママや私のことは気にしなくていいの。

 夢は… あなたの夢は、あなたのものよ。」

ユジンはそう言って、前を向いた。


(…私の夢…   それは… もう諦めたの…

 …ごめんね… ヒジン…)


夢は、いつか諦める日が来ることもあるのだと…。

そして、人はまた新しい夢を見つけようと歩き出すのだ。


「…さあ…

 パパが待ってるわ。急ぎましょう。」

ユジンは、足を速めた。


「あ、待ってよ。お姉ちゃん!」


二人は父の墓地に向かって急ぎ足で坂を上っていった。


(…パパ… パパの夢はなんだったの…?)

ユジンの胸に、懐かしい父の笑顔が浮かんだ。


そして…



(…チュンサン…  あなたの夢は…?)



ユジンの上に、梢の露が降りかかり、頬を濡らしながら流れて落ちた。




                                  -了-


あとがき

新宿の兄妹の事件を思い、書いてみました。
あまりにも陰惨で、言葉も浮かびません。

冬ソナの世界とは別の世界のように思えました。
でも…やっぱりそうじゃない、と。

僕たちの暮らすこの街で、人々はみな夢を持って生きているのだと。

夢はひとりで見るもの?
夢は、その人だけのもの?

ユジンの夢をかなえられるのは、ユジンひとりではないのです。